2025年6月17日(火)

日本のコンテンツ

2025年6月2日

 何十冊ものマンガ雑誌が発刊され、全国の書店網で流通する。個人作家が編集者と組み、「バディ制」で作品を作り上げる。ごく普通の会社員や、女子高生ギャンブラーが主人公になるなど、あまりに幅広い世界観で展開する──。

(IWOZON/SHUTTERSTOCK)

 こうした〝世界唯一〟ともいえる特徴をいくつも有しているのが、日本のマンガ産業である。

 2000年代初頭、インターネットの勢いに押されて到来した「雑誌不況」のあおりを受け、いずれ、マンガ産業も陰りを迎えると言われていた。しかしその見解は完全に外れ、近年では海外市場を含め、マンガ産業は目覚ましい復調・伸長を記録している。

 米サンディエゴ在住の筆者の知人は、「ここ数年で、息子(10歳)のクラスメートのほぼ全員が、何らかの日本のマンガを読むようになった」と話す。香港で映画プロデューサーを務める投資家の知人は、「最近のカナダやアメリカでは、日本のアニメを知らないと話についていけないことがある」と述べた。

 何より筆者が、声を大にして主張したいのが、最近のマンガの面白さは、多様性や深さも含めて加速度的に進化しているということだ。先述した香港の知人も、日本のマンガは海外映画などに比べて「物語の複雑性が段違い」であり、自国の作品が薄っぺらく見えてしまうと、高い賛辞を贈っていた。

 こうした日本のマンガ・アニメ産業の恩恵を、我々は当たり前のように享受している。しかし、その背景には日本の歴史や文化そのものが影響を与えていることを、改めて理解しておくべきだろう。なぜなら、それは決して、後天的な「国策」として生まれたものではないからだ。


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