「絵巻物」・「参勤交代」・
「寺子屋文化」が育んだ土壌
まず、日本は現存する世界最古の単一王朝国家だとされ、初代の神武天皇が即位したといわれる紀元前660年から数えると、今年は皇紀2685年になると定義されている。
一方で、中国などが典型的だが、多くの国は王朝が変わるごとに過去の文化を破壊し尽くし、現王朝の正当性を高めようとしてきた。日本も明治維新により、多くの武士が「ちょんまげ」を切るなど、それまでの文化が大きく転換したこともあったが、基本的にモノカルチャーを受け継いできたために、「文化的な土壌が世界で最も成熟した国」の一つであるといえるのだ。それが如実に表れているのが、「絵巻物」から続くマンガ文化である。
マンガの起源は鳥獣戯画である、とする説はよく聞く。筆者の会社に多大な協力をしてくれた、『まじかる☆タルるートくん』(集英社)などのヒットメーカーとして知られる江川達也氏は、「右から左にクルクルと手で回していく、日本の『巻物』はまさにアニメ的であり、この横スクロール形式の疑似動画が、日本のアニメの起源になった」と教えてくれたものだ。
巻物自体は、飛鳥時代に中国から伝来したとされる。同時期に伝来した仏教では、「経を一巻に納める」ことが重視され、巻いても傷みにくい和紙の存在と仏教の広がりが重なって、巻物文化は日本で独自の発展を遂げた。
また、「平和な時代でない限り、娯楽産業は育たない」という鉄則があるが、この時期に日本では約390年にわたる平安時代が訪れた。時代の区切りの定義にもよるが、政治体制に変化がないという点においては、世界一の長寿ともいえる時代だったのだ。そんな「平和な時代」の象徴として、『源氏物語』などが生まれ、絵と物語が融合した娯楽産業は最高潮に達していった。
これに続き、「平和な時代」として娯楽産業に革新を起こしたのが、約300年の長寿を実現した江戸時代だ。ここでの要諦の一つが、「参勤交代」であり、大名たちを1年ごとに江戸に住まわせ、地元で力を蓄えさせずに政情を安定させるというのは、世界的に見ても稀かつ秀逸な制度であった。結果、「時間とお金を持て余した地方大名が、江戸で娯楽を求め続ける」という、特殊な環境が生まれたわけだ。
徳川幕府の監視がある中、軍事を整備するわけにもいかない。時間に余裕のある彼らは、浮世絵師に「作品」をたくさん作らせることで余暇を過ごしたのだ。
これはまさに、ルネサンスにおいてメディチ家やローマ教皇が、レオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロなどの、アーティストのスポンサーを務めたのと同じ構造である。平和な時代に、時間に余裕のある金持ちたち、そして才能豊かなクリエーターという土壌が掛け合わされることで、娯楽産業にイノベーションが起きるのだ。ヨーロッパの印象派にまで影響を与えた「浮世絵文化」はこのように生まれた。つまりは、絵巻物から浮世絵文化へと発展し、民間クリエーターが支援される土俵ができたことで、「クリエーターの民主化」が幅広く進んだのだ。
ここで忘れてはならないのが、「寺子屋文化」をもとにした、当時の日本人の識字率の高さだ。多くの人々が「文字を書ける・読める」という土壌があったことで、日本人が「1億総クリエーター」たる下地ができていったのである。
そして戦後。焼け野原となった日本に残された娯楽の一つが「紙とペン」であった。そこに、高い識字率を誇る「民間クリエーター」である国民たちがいたことで、こぞって絵と物語が描き始められた。
こうした歴史の要諦が組み合わさり、「1億総クリエーター社会」が構築され、マンガ産業は大発展を遂げた。マンガ家一人に編集者一人という「バディ制」によって、個性と作家性を最大限に重視する特徴も、日本だからこそ生まれたのだ(基本的にアメコミでは一人ではなく「スタジオ」方式で作品をつくる)。こうして、他国が再現できない肥沃な作品づくりの土壌が育まれた。
今では日本は、米ハリウッドや中国の資本力に敵うはずもなく、海外イラストレーターの「絵の上手さ」も近年は秀逸になってきている。しかし、物語の骨子となる「心に響く表現」や「深くて複雑なストーリー」は、日本だからこそ仕上げられるものであり、お金と技術に取って代わられるものではない。作品の奥深さや幅広さについては「どこまでいっても追いつけない」のが、我が国のマンガ産業なのである。

