ここで忘れてはならないのは、この視覚障害者団体の人々が、ベスト・アンド・ブライテストのエリート集団であったわけではない、という事実である。この人たちも、一人ひとりは庶民であり、突然、「成熟した市民」へと進化を遂げたわけではない。
この点においては、ネットにコメントを繰り返す人々と、大きな違いはなかったはずである。それにもかかわらず、建設的で、力強い訴えを行うことができた。
その際、国を動かすためには、当事者が「自分たちのため」とだけ主張するのでは不十分である。「社会全体にとっての利益(公益)」を明確に訴えなければならない。
ホームドアの場合は、「それは視覚障害者だけのためではない。高齢者、障害者、ベビーカー、さらには、酩酊している人にとっても、ホームドアは事故防止になる。過酷な日々に絶望し、電車の接近とともに『魔が差して』飛び降りようとする人にとっても抑止力になりえる」、こう訴えたのであった。こうして、ホームドアは誰の安全にとっても役に立つことが理解されるようになった。最初は、少数派の個人的で局所的な苦悩であったが、それに端を発して、苦悩を普遍的な課題へと昇華させて、解決に導いたのである。
少数者が政治家を動かし、社会を変える
無名の多数が社会を変えるわけではない。ある課題について痛切な問題意識を持っている少数者が、政治家に働きかけて、社会を変える。
もう一つの例は、性暴力被害者たちの訴えによる刑法の改正(17年・23年)である。被害を受けた当事者たちが声を上げ、メディアや国会での発信を続けた。支援団体(#MeToo、Spring、Voice Up Japanなど)も被害者中心主義を訴えた。
その結果、17年には、旧「強姦罪」が「強制性交等罪」に改正され、加害・被害の性別を問わず処罰の対象とする制度が導入された。23年には、暴行・脅迫の有無にかかわらず「同意の欠如」が判断基準となる新たな処罰枠組みが導入され(いわゆる「不同意性交等罪」)、性犯罪全体の定義が抜本的に見直された。あわせて、性行同意年齢が13歳から16歳へと引き上げられ、さらに18歳未満の者との性交についても、指導・信頼関係を利用した場合には処罰されることが明文化された。
ここにおいても、可動式ホームドアのケースと同じく、公益性に結び付けたのが成功要因であった。声をあげた性暴力被害者は、その多くが女性であったにもかかわらず、「被害者は女性に限らない。男性、子ども、性的少数者も含まれる」と明言した。
それは、声を挙げることのできない多くの男性、子ども、性的少数者が、事実、被害者の中にいたからである。結果として、被害者像が多様化であることを示すことができ、人々は「自分の子どもや家族が被害に遭うかもしれない」という危機感を抱くようになった。
