引っ越した当初は寂しさもあったがラグビーを始めると楽しくてすぐに仲間が増えた。
宇野は身体が大きくコンタクトプレーが好きで、特にタックルが得意な子だった。しかし楽しいことばかりでなかった。
「僕らのチームの練習は厳しかったんですよ。ラグビーを始めた頃は楽しかったはずなのに、どんどん練習がきつくなっていって大嫌いになりました。小学3~4年生の頃は県大会で優勝しましたが、練習は泣きながらやっていた思い出があります(笑)。土曜や日曜に雨が降ると嬉しかったですね。だから中学生になったら、こんなにきついラグビーからは離れようと思っていました」
中学に進学した宇野は学校の柔道部に入部した。
「ただ、ラグビーと完全に繋がりがなくなるのも寂しいと思って、ラグビースクールに登録だけはしていました。怪我などでメンバーが足りないときに声が掛かって試合にも出ていたんです」
「ですが、中学3年になって高校の進路を考えた時に、自分が頂点を目指すには? と考えたら柔道よりもラグビーの方が実現できる可能性が高いと思い、5月頃から再びラグビーを主体に取り組んでいきました」
打倒大阪を目指し、
片道2時間の強豪校へ進学
ラグビーに戻った矢先、宇野はオール兵庫(兵庫県選抜、兵庫県代表)に選出された。これが宇野のその後の進路を決定的なものに変えていく。理由はオール兵庫のメンバーとして出場した関西大会、全国大会のどちらもオール大阪に負けたからだ。その負け方も本人の言葉を借りれば「ボコボコに」というほどの敗戦だったようだ。それがあまりにも悔しかったために「絶対に大阪を倒したい!」という思いが強くなって進路に影響した。
「当時の兵庫県の高校は全国大会に出てもトップを目指せるほどではなかったんです。そこで、大阪を倒して日本一になるための道を考えたところ、京都では伏見工業か京都成章、奈良の天理かと考えたんです。僕はあくまでも大阪を倒したかった。だから大阪に行って日本一を目指すなんてことは考えませんでした」
そして進学した先は通学に片道2時間も掛かる京都成章高校だった。オール兵庫のメンバーを誘って4名が片道2時間の仲間になった。