「あまり痛みはなく体には感覚がなくて、意識だけがあるという感じでした。手足も痛くなくて、しゃべるにはしゃべれたんです。体を仰向けに返される時に、自分でも手伝おうという意識があったのですが、体は全く動きませんでした。かなり力を入れていたつもりなんですけどね。首を固定されて運ばれて行く時にタンカから手が落ちてしまい、そのまま上げられずにいたので、傍にいた方に『手を戻してください』とお願いしました」
医務室に運ばれた。「これはわかる?」「ここはどう?」。医師に声を掛けられているのはわかっても、その言葉の意味がよくわからなかった。
「寝かされているんですが、いま何を聞かれているのか確かめようにも首は固定されているし、起き上がれないから見ることができません。だから『何してるんですか』と聞いたところ、『いま膝を叩いているんだよ』と言われました。その後『いまは太腿を触ってるよ』とか『じゃあ、ここはわかる?』『ここは?』と場所を変えながら何度も聞かれるんですが、全く感覚がなかったんです。やっと胸まで上がってきて、触られた感覚がありました。ジャージを切られていることもわからなかったし、これは今までの怪我と違って、治るような怪我じゃないことも感じていました」
その後宇野は近くの小学校の校庭からドクターヘリで搬送された。その途中の救急車内で母親が混乱している姿を見て「大変なことになってしまった。母に申し訳ない」という思いがこみ上がってきたがどうすることもできなかった。
「良くて車椅子生活、悪くて寝たきり」
次に気が付いた時はベッドの上だった。呼吸が苦しく、誰かを呼ぼうにも気管切開をしていて声にならなかった。水の中で溺れているかのような苦しさは人口呼吸器に慣れていないためで、酸素量は十分だと説明された。
「しゃべれないし動けない。ひたすらこの苦しさに耐えるしかない。『もう完全に終わったな……』としか考えられませんでした」
「苦しくても死にたいとは思わなかったんですが、死んだ方がましかもしれないとは思いました。それくらい苦しかったんです。でも死ぬすべがありません。息を止めれば人工呼吸器が異常を知らせますし、病院なので必ず誰かが助けにきます。入院最初の2日間はきっと僕の人生で一番つらい2日間になると思いました」
ICUに2週間、その後一般病棟に移るまでは気管切開しているので話ができなかった。
母親との会話は50音表を使って一文字ずつ順番に指を動かし、宇野がうなずくというやり方で意思を伝えていった。