「ディグニタス」創設者のルートヴィヒ・ミネリ氏
スイスで「死を選ぶ権利」を推進する「ディグニタス」の創設者が、医師の支援を受けた自死で死亡した。同団体が発表した。
ルートヴィヒ・ミネリ氏(92)は、93歳の誕生日を数日後に控えた11月29日に死亡した。同団体はミネリ氏を追悼し、「選択の自由、自己決定、人権のための人生を歩んだ」と述べた。
ミネリ氏は1998年にディグニタスを設立。それ以来、同団体は数千人の死を支援してきた。
近年では、オーストラリア、カナダ、ニュージーランドが法律を導入するなど、いくつかの国が支援を受けての自死に対する姿勢を変えている。イギリスでも現在、「支援を受けた死」法案の審議が上院で行われている。
この法案をめぐっては、障害者や弱い立場の人々が人生を終えるよう強要される恐れがあると批判の声もあがっている。
「社会における最後の人権」
ミネリ氏は、ドイツのニュース雑誌「シュピーゲル」の特派員としてジャーナリストのキャリアを始めた。その後、法律を学び、人権に関心を持つようになった。
生涯を通じて死を選ぶ権利を強く訴えた。ディグニタスのスローガンは、「尊厳を持って生き、尊厳を持って死ぬ」。
2010年のBBCのインタビューでミネリ氏は、「私は、社会における最後の人権を実現するために闘わなくてはならないと確信している。最後の人権とは、自分の終わりについて決定する権利で、その終わりを危険も痛みもなく迎える可能性のことだ」と語っていた。
ミネリ氏は、スイスの別団体「エグジット」を、規則が厳しすぎると感じたために離脱し、ディグニタスを設立した。
ディグニタスは、自国で支援を受けた自死が認められていない非スイス国籍の人々に、スイスで医師の幇助(ほうじょ)を受けた自死を提供することで世界的に有名になった。
スイスでは、団体の財務取引に透明性が欠けているとの疑惑や、末期患者ではないが死を望む人々にもサービスを提供しているとして、たびたび批判を受けた。
ミネリ氏は多くの訴訟に直面し、スイス連邦最高裁への上告でたびたび勝訴している。
ディグニタスは声明で、ミネリ氏の活動が世界に長期的な影響を与えたと説明。その例として、判断能力のある人に自分の人生の終わり方と時期を決定する権利を認める、2011年の欧州人権裁判所(ECJ)の判決を挙げた。
苦痛を和らげるために医師が致死薬を投与し、故意に人の命を終わらせる安楽死は、スイスでは違法だ。
一方、厳格な条件の下で支援を受けた自死は、1942年から認められている。条件には、営利目的でないこと、死を望む本人が健全な判断力を持っていることなどが含まれる。
ディグニタスは声明で、今後も「創設者の精神に基づき、自己決定と生と死における選択の自由のために闘う、専門的で闘志のある国際組織として、団体を運営・発展させていく」とした。
(英語記事 Dignitas founder dies by assisted suicide aged 92, group says)
