バングラデシュのハシナ政権崩壊に至る昨年の抗議活動で注目された青年活動家が今月12日に首都ダッカで銃撃され、18日に搬送先のシンガポールで死亡した。これを受けて首都では激しい抗議行動が起き、同日夜には新聞社2社の社屋が襲撃され燃やされた。なぜ2紙が抗議の標的にされたかは不透明。暫定政府は19日、暴力を非難し、「ジャーナリストへの攻撃は真実そのものへの攻撃だ」と声明で述べた。
ハシナ政権崩壊につながった昨年夏の全国的な抗議活動で注目された青年活動家、シャリフ・オスマン・ハディ氏(32)は12日、ダッカのモスク(イスラム教の礼拝施設)を出ようとしたところで覆面の銃撃犯に撃たれ、18日に死亡した。バングラデシュの選挙管理委員会は11日に、総選挙を来年2月12日に実施すると発表したばかりで、ハディ氏は無所属候補として出馬する方針だった。
ハディ氏の死に怒った大勢が18日、首都の広場に集まった。その一部が英字紙デイリー・スターとベンガル語紙プロトム・アロの事務所に押し入り、放火した。抗議は19日まで続いた。
このため「デイリー・スター」は19日の印刷版を発行できなかった。35年ぶりのこの事態に、「バングラデシュの独立したジャーナリズムにとって最も暗い日だ」と「デイリー・スター」は声明で述べた。「しばらくは業務停止状態になる」とカマル・アフメド編集顧問はBBCに話した。
事務所を燃やされ、スタッフは「息ができない」状態だったとアフメド氏は言い、「同僚28人が建物の屋上に何時間も閉じ込められ(中略)新鮮な空気を求めていた。救出されたのは追加の軍事支援が到着した後だった」と話した。
重傷者はいなかったが、BBCベンガル語が19日に現場を訪れると、建物の大部分は完全に焼け焦げていた。「プロトム・アロ」の建物からはまだ煙が立ち上っていた。
数百人の抗議者がなぜ両紙を標的にしたのかは不明。両紙は長年、世俗的かつ進歩的な論調で知られ、そのためハシナ政権下で定期的に批判されていた。
しかし、2024年7月の抗議開始以来、両紙はノーベル平和賞受賞者ムハマド・ユヌス氏が首席顧問として率いる暫定政府に対しても、その政策の一部を批判してきたため、それが政権支持者を怒らせた可能性がある。
暫定政府は暴力を非難し、加害者は「全面的な正義」で処罰すると約束。「ジャーナリストへの攻撃は真実そのものへの攻撃だ」と、暫定政府は19日に声明で述べた。
暫定政府は、国は「歴史的な民主的移行」を進めており、「混乱を好み平和を拒む少数者」によってそれが脱線させられてはならないと主張した。
18日からの抗議では、ハシナ前首相の父シェイク・ムジブル・ラーマン初代大統領の自宅を含む他の有名な建物も18日に破壊され、放火された。
暗殺されたハディ氏は学生抗議グループ「インキラブ・マンチャ」の幹部で、ハシナ政権を倒した青年運動の一員だった。
ハディ氏は隣国インドも声高に批判していた。ハシナ前首相は現在、インドに亡命中。
ハディ氏は昨年の抗議後、さまざまなメディア番組に頻繁に出演し、幅広い支持を急速に集めていたが、その一方で同氏への批判も増えていた。
総選挙日程が発表された翌日に撃たれたハディ氏の死を受け、暫定政権のユヌス首席顧問は、「国家にとって取り返しのつかない損失」と発言。選挙の「脱線」を意図した者による計画的な攻撃だと非難した。
「民主主義へ向かう国の歩みは、恐怖、テロ、流血によって止めることはできない」と、ユヌス氏は18日のテレビ演説で述べた。
暫定政権は20日を国喪の日と宣言した。
ハディ氏銃撃について捜査は継続中で、これまでに数人が拘束されている。
ハシナ前首相は2024年8月、学生主導の抗議が数週間続いた後、インドに逃亡。15年にわたる権威主義的統治に区切りがついた。
前首相は今年11月、学生主導による反政府抗議デモを弾圧した際に、抗議者らに対して致命的な武器を使うことを許可したとして、人道に対する罪で有罪とされた。バングラデシュで国内戦争犯罪を裁く特別法廷の国際犯罪法廷(ICT)は、ハシナ氏に死刑を言い渡した。2024年夏の反政府デモでは、最大1400人が死亡したとされる。
(英語記事 Bangladesh newspaper staff recall 'gasping for air' as offices set ablazeViolence breaks out in Bangladesh after death of youth protest leader
