大いに売れている俳優から、新作「ガマの油」で監督にも乗り出した役所広司は、長崎県は諫早市の出身である。この映画は、誰でも知っているあの「がまの油」売りの口上を扱っているが、内容はずいぶん凝ったもので、一口にこうだとは言えない複雑な味わいのものだ。
高校を出て上京して、千代田区役所に就職したのが芸名の「役所」の由来である。仲代達矢の無名塾に200倍の競争を突破して入って大監督たちの作品に引っぱりだこの大物の俳優になった。「Shall We ダンス?」や「うなぎ」では悪気のない人柄の好ましさがじつによく出ていた。他方、異色のホラー「CURE」の切れ味鋭い演技も忘れ難い。新しいところでは「劔岳 点の記」。これは風格が見事。
長崎県からは多くの優秀な監督が出ている。古いところではまず島耕二(1901~1986年)。俳優出身で、監督としては戦前に「風の又三郎」を素朴で詩的なタッチで映画化し、これが宮沢賢治ブームに火をつけた。長崎市の出身である。
同じく長崎市出身で現役の若手では橋口亮輔がいる。一貫してまじめにゲイの男の生き方を追求している。「二十才の微熱」もいいが、「ハッシュ!」がとくにすぐれている。ゲイだからといって奇をてらわず、あくまで地道に人生を考えるというところがいい。その良さをさらに発展させたのがつづく「ぐるりのこと」である。これは男と女の夫婦の話だが、なんでもない日常のこまごまとしたことへの目のくばりかたがこまやかでやさしくていいのだ。
森崎東(もりさきあずま)は南高来(みなみたかき)郡島原町(現島原市)の生まれで、小学生の頃に福岡県大牟田市に移っている。「喜劇・女は度胸」から最近の「ニワトリはハダシだ」まで、気骨あふれる庶民派喜劇で一家をなしてきた。
プロデューサーとして野心作の多い風雲児で、「赤目四十八瀧心中未遂」をいっさい妥協のない芸術派映画として監督した荒戸源次郎も長崎県出身。ただし育ちは福岡だ。
女優では、いしだあゆみが佐世保市の生まれ。歌手から演技者になり、「男はつらいよ・寅次郎あじさいの恋」では、あの寅さんに本気で惚れて彼をタジタジとさせる役をゾクゾクさせる眼光で演じた。
津島恵子(1926年~)は下県(しもあがた)郡厳原(いずはら)町(現対馬市)の生まれである。ただし幼い頃に東京に移っている。ダンスの教師として大船撮影所に通い、名作「安城家の舞踏会」の重要な役にスカウトされた。代表作としては「足摺岬」をあげたい。もっぱら真面目な女性の役ばかりを演じた女優である。