危険にさらされる
子どもたち
だが、14年近くに及んだ内戦の傷痕は深く、戻る人々を受け入れる環境は整っていない。
アレッポのアブ・アユーブ・アンサーリ小学校では、週末の土曜日に特別授業が行われていた。
「これはアラビア語で何と言いますか」。教師が白板に描いた図形を指すと、「丸、三角、四角!」と声が上がった。21人全員がトルコから戻ってきた子どもたちだ。5年生のバトール・アッダース(11歳)はアラビア語を2カ月間特訓したものの、「まだあんまり上手じゃないです」とはにかんだ。
校長ファウジ・ジュマ(45歳)によると、校舎が破壊された周辺校の児童も受け入れており、午前と午後の2部制で定員の2.5倍に当たる約2000人を抱える。そのうち約400人がアラビア語の習得が遅れた児童だ。「家庭で話すので会話はできますが、学校で学んでいないので読み書きができません。通常学級は1クラス50人もいて、教師が対応しきれないのが一番の問題です。過密状態を和らげるために、日本にはぜひ校舎の再建に力を貸してほしい」と訴えた。
故郷に戻った子どもたちは、身の危険にもさらされている。
アレッポ郊外のラシディーンに戻ったムハンマド・マライ(7歳)は3年前、左脚のひざから下を失った。がれきの中から拾った不発弾が爆発したためだ。
「そこにあったんだ」。ケロイドの残る右足で飛び跳ねながら指さした。自宅から数メートル先の道路脇だった。母(32歳)が「やめて、危ない!」と叫んだ直後に爆発し、ともに大やけどを負った。義足を買う余裕もなく、町外の小学校には通えていない。
国際NGO「マインズ・アドバイザリー・グループ」によると、政権崩壊後の1年間で地雷や不発弾による死傷者は1612人に達し、そのうち601人が子どもだった。
内戦まで1万人が暮らしていた町は、アサド政権軍による空爆で廃墟になった。4年前に戻った雑貨店主ムハンマド・ヘンメーミ(61歳)は「今まで誰も助けてくれませんでした」といらだちを隠さない。避難生活を続けるお金すらなくなった元住民が100世帯ほど自宅に戻ったというが、「電気も水もなく、みなぼうぜんとしています。インフラが復旧しなければ再建など不可能です」と語気を強めた。
