2026年2月19日(木)

勝負の分かれ目

2026年2月19日

 木原選手は、高橋選手と急造ペアを組むと、ペアの演技に必要な筋力をつけ、体重も増量させ、振り付けの同調性などペア特有の技術も培った。わずか1年ほどでソチ五輪の団体メンバーだけでなく、個人戦でも五輪出場を決めた。

人気も低い〝冬の時代〟

 しかし、自戒を込めて振り返ると、当時のメディアの扱いは驚くほどに小さかった。

 筆者自身も、男女の選手には、選曲の背景やプログラムの演技構成、ジャンプの種類などの演技内容、得点結果などを詳細に取材して報じていたのに対し、ペアの原稿は「雑感」と呼ばれる15行程度の記事に、結果と選手のコメントを申し訳程度に載せるだけだった。

 国際大会前に行う日本代表の会見でも、メディアの質問は、男女のスケーターにほぼすべてが集中していた。

 スポーツは実力と結果の世界といわれる。注目度が人気と実力に比例することは当然だとしても、選手にとっては良い気分ではなかったはずだ。

 それでも、ペアやアイスダンスの選手たちは、嫌な顔をすることなく、たまに聞かれる質問に、いつも真摯にコメントしてくれる姿が印象的だった。

 「りくりゅう」の所属先でカップル競技を長年にわたって支援する木下グループの社長兼最高経営責任者(CEO)の木下直哉氏も、18日付サンケイスポーツのインタビューで、全日本選手権を視察した際に男女のシングルと比べ、カップル競技はレベルが低く、人気が乏しかったことを回想する。

 木原選手はソチ五輪に続き、18年平昌五輪にも別の選手とのペアで出場したが、世界との差は大きく、一時は競技引退へと傾いた。

 しかし、19年夏に、新たなパートナーを探していた三浦選手と運命的な出会いを果たす。

 初めてのツイストリフトでこれまでにない高さと滞空時間を生み出せたのだ。9歳差の2人は新たなペアを結成し、木原選手のけがを乗り越えて世界のトップへと駆け上がった。


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