借金を「投資」に変える政治
今回の構想を支えるもう一つの言葉が「投資」である。「危機管理投資や成長投資は、単なるバラマキではなく、日本の安全と将来の稼ぐ力を高める支出である。だから通常歳出と同列に扱わず、別枠で柔軟に進めるべきだ」という理屈は、一見するともっともらしい。だが、耳あたりが良いことと、財政として健全であることは全く別の話である。政府支出を「消費」ではなく「投資」と呼び替える手法は今に始まったものではなく、高市政権の唱える「責任ある積極財政」も同じ論法に立っている。
しかし、政府が支出を増やせば、そのまま成長が実現するわけではない。官が成長分野を見抜き、適切に資金を配分し、民間投資の連鎖まで起こせるという前提は、現実にはかなり強い楽観に依存している。
政治が「賢い支出」を唱えるほど、かえって政治の恣意と官僚の裁量が広がる危険が高まる。民間が自ら危険を取って投資しない案件を、政府が税と国債で後押しする時点で、その支出はすでに市場の厳しい選別をくぐっていない可能性が高い。
そこで失敗が起きれば、損失は最終的に納税者に回る。利益は一部に、損失は全体にという構図になりやすい。
その現実は、官民ファンドの実績にも表れている。産業革新投資機構は25年12月末時点で出資約束額2兆5428億円、払込済金額1兆3611億円に達する一方、23年度末までの政府出資等の割合は96.3%である。クールジャパン機構も政府出資等の割合が92.0%に達し、23年度末時点の累積損失は397億円、EXIT済み17件では支援額261億円に対して回収額156億円で、104億円のマイナスであった。
政府が「成長分野」を選べば民間投資が続くというほど、現実は単純ではない。これを「成長投資」と呼べば聞こえはよいが、実際には政治主導の資金配分を正当化しているだけなのである。
危機は最強の免罪符
さらに見逃してはならないのが、「危機管理」という言葉である。この言葉は極めて強い。防衛、災害対策、供給網強化、国土強靱化、重要産業支援まで、ほとんど何でも包み込めるからである。
危機に備えると聞けば、反対しにくい。国を守る、防災を進める、社会を止めない。その旗印そのものを否定する国民は少ないだろう。だからこそ、政治にとってこれほど便利な言葉はない。
だが、便利な言葉ほど疑わなければならない。危機管理に本当に必要な支出と、危機管理の名を借りれば通しやすい支出は違うからである。
防衛や防災の名目で、道路や施設の整備、建て替え、地域向けの大型事業まで含め始めれば、話は「安全保障」から「ハコモノ」に変わる。しかも、危機管理という名目が付けば、平時なら厳しく問われる費用対効果の検証が甘くなりやすい。必要性を問うだけで、「危機意識が足りない」と見なされかねないからである。
