破綻は静かに進む
さらに言えば、「借金による政府支出の拡大がそのまま成長をもたらす」という前提自体、近年のマクロ経済学において強い疑義を持たれている。巨額の累積債務を抱える現在の日本において、生産性の低い分野への不透明な財政出動は、民間投資をクラウドアウトし、かえって経済成長の足を引っ張るリスクが極めて高い。
例えば、経済学者のEthan Ilzetzkiらが44カ国のデータを分析した研究(Ethan Ilzetzki, Enrique G. Mendoza, and Carlos A. Végh(2013)“How big (small?) are fiscal multipliers?” Journal of Monetary Economics, 60(2), pp.239-254)では、中央政府の未公債残高が高く、対GDP比で60%を超える局面においては、政府支出の拡大がもたらす財政乗数は「短期的には統計的にゼロと有意な差がなく、長期的にはマイナスになる」ことが実証されている。
つまり、すでに累積債務が限界に達している日本において、新たな投資枠を作ったところで、過剰な債務がもたらす経済成長への重圧から逃れられるわけではないのだ。
もちろん、つなぎ国債が直ちに明日にも財政破綻を招くと短絡する必要はない。だが、本当に危険なのはそこではない。危ういのは、こうした仕組みがいつも「もっともらしく」見えることである。
将来財源がある、償還計画がある、特別会計で管理する、使途も限定する――。そう説明されれば、財政規律に配慮しているように見える。しかし現実には、そのたびに借金は積み上がり、政府の役割は膨らみ、負担は現在より将来へと送られていく。
これを繰り返した先にあるのは、通貨の信認低下、物価上昇、行政機能の劣化、生活基盤の揺らぎである。財政破綻とは、ある日突然の断崖としてだけ現れるものではない。負担の実体から目をそらし続ける政治の積み重ねそのものが、破綻への道なのである。
病状が悪化しているのに体温計を隠して安心することはできないのと同じで、債務残高対GDP比のような不都合な数字を別枠管理で視界から外したところで、過剰な債務が経済成長に与える重圧は消えない。むしろ、数字を見えなくする政治ほど、国民の監視を弱め、負担の所在を曖昧にし、最終的な調整コストを大きくする。これこそが、日本政治の最も無責任な先送りである。
問われるのは覚悟
だからこそ、政治が本当にやるべきことは明白である。第一に、危機管理の名で広がる支出を厳密に絞り込み、何が真に不可欠で、何が便乗的な歳出拡大にすぎないのかを国民に示すことである。第二に、その負担を安易に増税へ求めるのではなく、まずは膨張した歳出、社会保障の無駄を削り、大きな政府そのものを反転させることである。第三に、別枠管理や例外扱いによって財政規律を骨抜きにする手法をやめ、支出の必要性と優先順位を平時から不断に点検することである。
危機対応や防衛力強化の必要性を語ることと、そのために政府の無駄を削ることは矛盾しない。むしろ、後者を避けたまま前者だけを語る政治こそ、最も無責任である。
「つなぎ国債」は打ち出の小槌ではない。「危機管理」も万能の呪文ではない。借金を見えにくくする政治は、一時は拍手を浴びるかもしれない。しかし、その拍手の代金は、必ず後で請求される。しかも請求書を開くのは、たいてい次の世代である。
必要なのは、無駄な歳出を削り、肥大化した政府を反転させる政治である。言葉を変えても、借金は消えない。消えているのは政治の責任感である。

