もっとも、こう言えば「太陽光パネルもEV電池も結局は中国の重要鉱物依存で、依存先が中東の石油から中国の鉱物に移るだけだ」との反論が聞こえてきそうである。
だが、依存の〝質〟が違う。化石燃料は、燃やせば消え、買い続けねばならない「フロー」の依存である。対して太陽光パネルや蓄電池は、一度据えれば20年以上国内でエネルギーを生む「ストック」であり、設備の一回限りの輸入にすぎない。
また、調達先は分散でき、リサイクルも利き、据え付けや運用の付加価値は国内に残る。永久に続く燃料の輸入と一度きりの設備の輸入では、安全保障上の意味がまるで違う。ウランに触れたのも同じ理由だ。原子力は電源を脱炭素化してもなお、燃料を買い続けるという点で、本質は化石燃料と地続きの「フロー」の依存である。
見落とされがちだが、欧州の脱炭素も中国の再エネ・EVも、根底にあるのは「気候変動対策」だけではない。輸入する化石燃料への依存を少しでも断つという「エネルギー安全保障上」の要請だ。ところが日本では脱炭素を環境負担と捉える意識が強すぎ、本質を見失ってきた。必要なのは脱炭素を止めることではなく、「エネルギー自立のための脱炭素」への読み替えではないか。
交わらないエネ庁内の
「エネルギー安全保障」論
なぜ抜け落ちるのか。一つは、世論にそれを許さない空気があることだ。メガソーラーによる自然破壊、洋上風力の相次ぐ撤退、ホンダやソニーのEV見直し──。
脱炭素をめぐる話題には近年、負の印象が染みついた。実際、過去3回の国政選挙では、気候変動を強く訴える政党ほど議席を減らし、再エネ賦課金に反対する政党ほど伸ばす傾向がある(相関であり因果ではないが)。再エネやEVを推進しにくい政治状況だ。
しかし、世論だけが理由ではない。
※こちらの記事の全文は「Wedge」2026年7月号に掲載されている「エネルギー依存国家・日本 持たざる「弱み」を「力」に変えよ」で見ることができます。
