安全装置を外して、コックを回すと、ケミカルメスシリンダー(ガラス製の円筒状の容器)の中に、黒い液体(石油)が勢いよく注がれた──。
JR秋田駅からほど近い場所には油田が広がっている。INPEX JAPAN(旧・国際石油開発帝石であるINPEXの国内事業を担当する100%子会社)の八橋油田だ。その大きさは南北13キロ・メートル、東西600メートルに及ぶ。明治初期に開発が開始され、1935(昭和10)年に、日本石油(現・エネオス)などが採掘した井戸で石油が大量に噴き出す「大噴油」をきっかけにして本格的な開発が始まった。
秋田鉱場の建物に入ると、まず目に飛び込んできたのは、大噴油した当時を記録した写真だ。秋田鉱場・場長の金子伴己さんはこう話す。
「見ていただければ分かる通り、作業者が耳を塞いでいますよね。かなりの轟音で石油が噴霧、噴出したようで、飛行機のジェットエンジン音にも匹敵したと言われています」
INPEX JAPANの親会社、INPEXの前身である帝国石油(帝石)が設立されたのは、太平洋戦争開戦を目前にした41年9月。開戦後は国内の石油事業が帝石に統合され、社員数は1万人を超えた。これらの社員の一部は、石油部隊要員として徴用され、ボルネオ、スマトラ、ジャワ、ビルマなどの南方油田の復旧・維持に当たり、多数の犠牲者を出した。
敗戦を経て、50年代に、八橋油田は最盛期を迎えた。金子さんは別の写真についても解説してくれた。
「当時は、田園風景の中にいくつもの櫓が立ち並んでおり、この下に坑井が掘削されました。最盛期には1240本にも上り、国内生産の8割を占め、当時の秋田県は『石油王国』と呼ばれていました」
八橋油田は「背斜構造」という馬の背のような曲がりくねった地質構造になっている「女川層」と呼ばれる地層から産出される。その深度は、地下900メートルから1800メートルに及ぶ。石油・油ガス層まで鉄管を挿入し、穴の壁が崩れるのを防ぎ、層に到達すると、鉄管に穴が開けられ、その中を通して鉄管内に石油とガスが流入し、地上へ上がってくる。
石油・ガスと一緒に出てくるのは地下水だ。その割合は、1:1:8と圧倒的に地下水が多い。セパレーターという装置に入れられ、それぞれ分離される。ガスは、7.5キロ・メートルにおよぶ地下に埋設されたパイプラインを通って、地元のガス会社に供給されている。
石油も地下水と分離され、週に5回タンクローリーで男鹿半島の港にあるタンクに貯蔵され、一定量になるとタンカーで、北海道苫小牧にある石油元売り会社に運ばれる。
「生産初期は地下の圧力(自圧)が大きいため、石油とガスが自噴していましたが、圧力が低下したため、『ポンピングユニット』と呼ばれる人工採油装置で汲み上げています」
