別の例も挙げよう。沖縄にある米軍の普天間飛行場の辺野古への移設に関しては、住宅地の真ん中にある普天間飛行場の危険性除去が目的であり、辺野古移設はその手段という関係である。現在も政府としては「辺野古移設が唯一の解決策」として移設作業を進めている。
私も海上にできる辺野古への移設が手段として適切だと思う。だが、「唯一の解決策」と言い切ってしまうことは「異論を許さない」ということでもあり、ともすれば国民・住民の意見は聞かないという意味にも捉えられかねない。もちろん政府としてそうした意図はなく、あくまで「早期に危険性を除去したい」という想いからであることは中にいた私には十分理解できるが、言葉足らずでそうは伝わらない場合もある。
このように、安全保障への関心が高まっている一方で、議論に参加するには必ずしも敷居が低くなく、「入口」でつまずいてしまうことがあるかもしれない。
今、防衛省・自衛隊は予算規模が倍増し(これは官僚の世界からすると天変地異である)、政治においては非核三原則の見直しや原子力潜水艦保有の議論なども盛んにおこなわれている。少し前の選挙では「核保有が最も安上がりだ」という主張もみられた。
私は元防衛官僚としてリアリズムに基づく議論が深まることは賛成だ。ただ、もし重大な政治決断が国民的議論のないまま一足飛びに為されるとすると、一抹の不安を抱く。それは、かつて近代日本が列強の仲間入りをし、富国強兵という目標を一定程度達成した時代に「日本はこのまま進んでいいのだという自負心と、否、このままではなく、まず日本人の姿をとらえてのちに、進むべきではないかというためらいとが共存している」と述べた者の心情に似ているかもしれない(橋川文三『昭和維新試論』(講談社学術文庫、2013年)78頁)。
国に求められる「柔軟さ」
防衛省は安全保障政策を通じて平和に貢献できる職場だ。防衛官僚として「ここでしかできないこと」があるのを知っていたので、退職するかどうかは本当に悩んだ。職場に不満があったわけでもない。
しかし、安全保障について国民や政治家の関心が高まっている今だからこそ、「より充実した議論のために何かしたい」「組織では手が届きにくい部分を個の力でカバーしたい」という思いが高まり、少し自由な立場から言論活動を行っていこうと決断した(決断の背景には、持病の腰痛が限界を迎えたため、一度しっかり療養したいという情けない事情もあったが…)。今後は活動を通じて、政策の説明方法をアップデートしたり、今の政策とは別の案も検討したりすることで、安全保障の議論を深めていきたい。以下では、実際に経験したことも交えながら、この点についてもう少し説明を加える。
組織で仕事をしている方は多かれ少なかれ感じられると思うが、組織を代表して対外的に説明する際に勝手な発言は許されない。これは組織が悪いという話ではなく、そうしないと組織の統一性が保たれず結果として説明を受けた人の不信感に繋がってしまうからであり、ある意味致し方ないことである。安全保障の分野では尚のことだ。一つひとつの言葉の使い方に他国も注目しているので(例えば、中国を「脅威」を呼ぶかどうか)、発言内容をキッチリ固める必要がある。
ただ、時には「もう少し柔軟な説明が必要ではないか」と感じることがあったのも事実だ。
例えば、ある地域に新しいミサイルを搬入する際に、防衛省としてそれを国会で議員の質問に答えるときの内容(答弁ライン)と地元で住民の方の質問に答えるときの内容は基本的に同じである。質問者によって応答内容が変わるのは行政の中立性・公平性からしておかしなこととも言える。しかし、ある程度知識も前提も共有している野党議員の厳しい質問に答えることと、安全保障についてほとんど知らず、ただ自分の町にミサイルが来ることに関心・心配を持って住民説明会に参加している人の質問に答えることとでは、自ずから説明の仕方が異なるというのもまた説得的ではないだろうか。
とかく役所の説明はその事業についてのスポットの説明になりがちで、歴史的経緯や前提としているものの考え方から順を追って説明するということは稀である。聞き手と話し手のギャップを埋める必要があると感じた経験であった。
