「自衛隊に行く子どもは経済的に厳しい。豊かな子どもは自衛隊とか(には)ならない」などという立憲民主党の古賀千景参院議員の発言を聞いて、真っ先に思い出した言葉がある。それは今から30年以上も前に、防衛大学校の1期生として自衛官トップの統合幕僚会議議長(当時)となった佐久間一氏が、退官の日の1993年7月1日に発した言葉だ。
防衛庁(当時)の講堂に居並ぶ多くの自衛官らを前に、佐久間氏は自らの自衛官人生を振り返り、「自衛隊の任務の高さ、尊さは、我々を無視し、あるいは非難する人々を含めたすべての日本人の平和と安全を守るということである。常にあらゆる問題に対応し得る周到な準備と心構えを持ち続けてほしい」という言葉で退官の辞を締めくくった。
「税金泥棒」「恥辱」……中傷に我慢の日々
言葉に託した思いを読売新聞の記者であった筆者は、退官から10年余りが経過した2005年、佐久間氏へのインタビュー取材を通して伺い知ることができた。
佐久間氏はまず防大時代を振り返り、「外出する時も防大生には制服着用の規則があったので、町を歩けば『税金泥棒』などと言われ、お茶の水などの女子大生が『防大生とは結婚しません』というプラカードを掲げて都内をデモ行進したこともありました」と苦笑いを浮かべた。“戦争はこりごり”という時代ではあったが、佐久間氏が「許せない」と語気を強めたのが、防大生を「恥辱」と形容した作家・大江健三郎氏の言葉だった。
1958(昭和33)年6月、全国紙のコラムに「ぼくは防衛大学生をぼくらの世代の若い日本人の一つの弱み、一つの恥辱だと思っている。そして、ぼくは防衛大学の志願者がすっかりなくなる方向へ働きかけたいと考えている」という大江氏の一文が掲載された。大江氏の言葉は大きな波紋を呼び、様々なメディアで「防大生は誇りか、恥辱か」といった論争が巻き起こった。
「それでも我々の世代はなんとか我慢した」と話す佐久間氏であったが、「こうした中傷は、その後も自衛隊員やその家族にまで及んでいる」と指摘した。
例えば、72年に本土復帰した沖縄県では、駐屯する自衛隊員やその家族の住民登録が拒否され、自衛官の子どもが学校に通えないという事態にまで発展している。小学校で自衛官の子どもがケンカをすれば、友だちの親から「一緒に遊ぶな」と言われ、担任の先生には「お前が悪い」と叱られたという。
