また、政府が考える政策をプランAとすると、中の人間としては外に向かって他のプランに言及することは基本的にはない。では、内部では侃々諤々の議論が行われているかというと、私の知る限りであるが、プランAの実行に多くのリソースが割かれており(プランAとしてやるべきことも増えている)、プランBを考える余裕がなかったように思う。
私自身、ある政策について別案を立てて幹部に説明したことがあったが、力不足もあって「面白い案だが、防衛省が今考えることではない」と却下されてしまったことがある。政治家との関係でも考えさせられることがあった。プランAを根回しとして与党議員に伝えると(いわゆる「レク」)、私の経験上返ってくる反応は「いいね。応援してるよ」というプランAの承認や、「もっと踏み込めないのか」などプランAAにすべきという意見がほとんどであり、「プランBはどうか」といった意見はほぼ見られなかった。
誤解なきように申し上げると私はいまの政府方針プランAが間違っていると言いたいわけではない。しかし、人間の知能には限界があり、一人の人間や一つの省が考えられることには限界があるとも考えている。だからこそ、先人の知恵を大切にしたり(保守主義)、他者と議論したりすること(民主主義)が大切なのだ。安全保障についても同じである。プランAの内容を理解することに加えて、プランBも併せて検討することで、結果としてプランAも磨かれることにもなるだろう。
安全保障論議を国民に開いていく
かつて冷戦下では安全保障環境が比較的固定化され、大きな方針が決まっていた。そのため、政策については防衛省がその方針に従って淡々と実行していれば間違いがなかった時代もあった。しかし、いまや国際秩序や大国の役割に動揺が見られ、大きな方針が自明のものとは見なされない時代に突入している。今こそ、日本が進むべき道について、国民的な議論が必要だ。
そのためには、専門家だけに閉ざされた議論でもなく、実務感覚を伴わない観念的な議論でもなく、安全保障のリテラシーを踏まえた上での議論を国民に開いていくことが求められる。私が退職した理由もそこにある。「自負心」と「ためらい」の双方を抱きしめつつ、この連載が安全保障論議を国民に開いていく一助になることを願って筆を取った次第である。
次回から「本論」が始まり、安全保障の内容に入っていく。まずは、「戦争」や「平和」といった言葉の意味や、そもそも「安全保障」とは一体何なのかといった点から論を起こしていきたい。引き続きお付き合いいただければ幸いである。
