私を変えた小学校4年生の「自由帳」
実は私は、10年以上前にもWedge誌で「自由ノート」の思い出を書いたことがある。小学校3年生までの私は、粛々と絵日記や感想文を書くことにあまり興味がなく、漢字も計算の宿題もつまらないし苦手だった。
ところが、4年生の担任が変わった。その先生は、計算ドリルや漢字ノートではなく「自由帳」という宿題しか出さない方だった。
何を書いてもいい。多くのクラスメイトは従来通りに漢字や計算のドリルを写していた。私も最初は好きな飛行機を描いていた。それから勝手に地図を描き、そこに工場や公園を書き込んでみた。
先生から花丸をもらった。それが多分嬉しかったのだろうか。図書館へ行って自分の住んでいる区のことを調べ、歴史を知り、また自由ノートに書いた。いつの間にか毎回数ページを書くようになった。
当時はもちろんインターネットも生成AIもない。ノートに鉛筆で書く。一度書いてしまえば、文章が少々脱線したからといって全部を消しゴムで消すのも大変だった。原稿用紙だって子どもにとって無尽蔵にあるものではない。書き始めたら、少々曲がりくねってもそのまま先へ進んだ。
だから私の自由ノートも、ずいぶん脱線していたのだと思う。しかし、その脱線した先に図書館があった。終業式の日、先生から放課後に残るよう言われた。待っていると、古い参考書を一冊くれた。「もっと勉強したかったら、学費のかからない国立の中学校がある」と教えてくれた。
2013年にWEDGEに寄稿した際には、この経験を「ナナメの関係」という言葉で紹介した。 『親の所得格差が子どもの学ぶ機会の格差を生む 今こそ街中に寺子屋を!』(Wedge ONLINE)
親でも友達でもない、少し違う位置にいる大人が「もっとやりたかったら、こんな世界もあるよ」と子どもに手を差し伸べる。そのちょっとした一言で、子どもの世界が広がることがある。
当時の記事では、所得格差が学びの格差を生む日本の現状を踏まえ、街中に寺子屋のような場所をつくり、そんな「ナナメの大人」が子どもを支えることを提案した。
13年たって、生成AIという、当時は想像もしなかった「相棒」が子どもたちの前に現れた。それでも、自由ノートに花丸をつけて「それ、面白いね」と言ってくれる人の役割は、なくならないのではないか。むしろAIが何でもきれいにまとめてくれる時代だからこそ、その役割は大きくなるのかもしれない。
