林業の求められる「待ちの経営」
藺草御殿に代表されるような超高級材が枯渇し、総ヒノキ建築へのあこがれも消失、戸建て住宅の建築費が値上がりする中で、建築価格圧縮へのしわ寄せを木材製品が1人でかぶった格好である。したがって、建築用に供給される木材は、品質の良さではなく、価格の低さを求められることになる。
これが木材需要の大勢を占める住宅用木材の現状で、藺草御殿用に高級材が飛ぶように売れた頃のおよそ3分の1の価格である。この一般材の価格では、造林から伐採搬出までトータルの林業で儲けることなど、夢のまた夢である。
そこへ今後の最大の脅威となるのが、いずれの業界も同じ少子化で、木材の最大の需要先である新築一戸建て住宅の減少は目に見えている。先日、大手ハウスメーカーの大和ハウス工業が、新築一戸建て住宅事業の部門について、北海道から鹿児島までの23道県から撤退することを明らかにしている。資材費や人件費が高騰する中、需要が堅調な都市圏に営業や設計といった経営資源を集中させ、収益性を高めるのだそうだ。
こうした需要の先細りが目に見えているのに、林野庁がどうして資源の循環利用に固執するのかが不明である。この先、木材価格が上昇することなどあり得ない。
人工林の齢級構成の図を見ても、再造林が少ないのがわかる。こんな価格で将来に希望が持てるはずがないからだ。
改めて令和7年度森林・林業白書の特集で「森林資源の循環利用の確立に向けて~木材利用と再造林をつなぐ~」を取り上げ、資源の循環利用=林業振興という宿命を背負った林野庁の必死さがうかがえる。
そもそも木材価格の低迷は、木材需要の不足の反映であり、ここに行政があえて介入する必要があるのだろうか。林業の面白さは、需要のない時に伐採しなくても、森林は廃れないし、逆に成長して価値を増すところにある。図の赤い⇔の部分が増えるのだ。
江戸時代の豪商たちが、上方と江戸を行き来して得た富で紀州の山林を買い、植林して育てた。しかし、必ずしも林業で儲けようとしたわけではない。財産保持的経営すなわち貯蓄として林業経営をみているのだ。
そこで一旦江戸に大火でも起きれば、急遽伐採してさらなる富を上積みする。金持ちはどう転んでも儲けるものだと感心する。
それは決して悪ではない。江戸の住民である武士も町民もが希求する木材を供給することは、災害復興への協力でもあり、備蓄していた木材を売ってその対価を得たまでである。
1964年にできた林業基本法で林野庁は林業の産業化を目指し、それまでの財産保持的林業からの脱却を目指した。まあ、同じ農林水産省内で先行した農業政策の後追いで、今にして思うと林野行政に確固たるビジョンがあったように思えないが、以来現在に至るまで60年以上も見果てぬ夢を追い続けてきたのである。そのため財産保持的な森林所有者の経営は目の敵にされた。
そもそも木材需要は変動が激しい。景気の良し悪しで住宅着工数が上下するし、年間でも季節によって需要が変化する。

