2026年7月の熊本地震で震度7の揺れを観測した氷川町の倒壊家屋の特徴に気づかれた方はいるだろうか。見事な瓦屋根の平屋建ての家が押しつぶされ、屋根のみ堂々と原形をとどめている。
熊本の知人が語るには、かつてこの辺りは、畳表となる藺草(いぐさ)の栽培が盛んで、高収入を得ていた生産者が、「藺草御殿」と呼ばれる和風の豪邸を競って建てたのだそうだ。それらの和風建築の多くが今回の地震で倒壊したという。
そんな立派な家が簡単に倒壊するはずはないのだが、横ずれを起こした日奈久(ひなぐ)断層の直上だったのが不運だったようだ。邸宅の顔である立派な瓦屋根の重量が、倒壊を助長したことも否めない。それを支えるヒノキ材はおそらく4寸柱(12センチメートル〈cm〉角、通常は3寸5分=10.5cm角)の上物だっただろうから、そんなに容易く折れたりしないはずだったのに。
ここで筆者は若い頃を思い出した。八代へ流れ出る球磨川の最上流部にある多良木営林署長をしていた時のことである。
九州の人工林はスギが多いのだが、地域によってはヒノキの産地も結構あった。それらは銘柄材として、鹿児島県の伊佐ヒノキ、長崎県の雲仙ヒノキなどと呼ばれ、そして熊本県の球磨ヒノキもその1つだった。ヒノキの産地はそれぞれヒノキ専門の製材所を多数抱え、その中心には木材市場があって丸太や製材品が活発に取引されていた。
多良木営林署と1つ川下の人吉営林署のヒノキ材は、地元の製材所にはもちろんのこと、熊本市、八代市、水俣市や鹿児島県、宮崎県からも買い手が集まった。特に今回地震に見舞われた八代市近辺の製材所は、丸太の品質にうるさい目利き揃いで、採材の仕方が悪いとずいぶん叱られたものだった。それは総ヒノキ造りの豪邸を嗜好する彼らの地元の顧客層の要望を反映したものでもあったのだ。
高品質の条件は、直材、緻密な年輪、無節、色、艶である。これらの条件を備えた製材品を役物(やくもの)と呼び、総ヒノキの豪邸の建て主は、役物の柱や長押(なげし)の美しさを自慢したものだ。長押とは、鴨居(かもい・襖や障子の上部のガイドとなる部材)の側面を隠す化粧材のことである。
そこで製材屋は、役物が採れる無節の丸太を競って買いあさった。丸太の側面の表皮に現われる枝痕(えだあと)をみて、製材した材面に節が現れるかどうかを想定する。それが目利きの証であり、儲けの分かれ道だった。そして、それらの高品質なヒノキ丸太の供給元は主に国有林だった。
