2024年7月20日(土)

ひととき特集

2014年10月1日

阿川:すると実際には博多開業以前に、食堂車の営業は一部で始まっていたのですね。

須田:前年の秋から始めていました。また、ちょうどその編成替えの時期に、中間車12両をすべてグリーン車にした「ひかり」が走ったことがありました。

阿川:えっ? それは初めて聞く話ですね。

須田:昭和49年(1974)の秋に、日本で列国議会同盟の総会が開かれて、東京から日帰りで京都視察を行うことになったのですが、その時、衆議院事務総長から国鉄にこういう要請がありました。「日程等の関係から、約800名の各国の国会議員を一度に京都までお連れしなければならない。ついては、待遇に格差が生じては困るので、全部グリーン車にできないだろうか」と。ふつうなら、絶対にオールグリーン車などはできません。ところが、偶然にも編成替えの準備をしていたので、グリーン車だけを集めて1編成つくることが、一日だけなら可能だったのです。それで10月6日に、一往復だけ前後の四両を除いて12両すべてグリーン車という「ひかり」が走りました。

阿川:それは見たかったですね。

須田:残念ながら警備の都合などもありましたから、事前には公表しませんでした。

阿川:100系には2階建て車両を使った展望レストランがありましたね。ちょうど息子が4~5歳の頃、あの2階のレストランに行くのが、特別な楽しみの一つでした。

須田:昭和60年(1985)の100系導入とともに、新幹線のイメージを明るくしようということで生まれたのが展望レストランです。1階を厨房にしてリフトで料理を2階に上げるという仕組みでした。これがたいへん評判になりまして、当初は行列ができるほどでした。しかし、運行時間によっては食事時間に掛からない列車もありますから、実は食堂車の営業実績にはムラが生じました。しかも、しだいに駅周辺のデパ地下などが発達してきて、事前にお弁当を買って乗られるお客様も増えてきました。食堂車の需要自体がだんだん減ってきたわけですね。その一方で昭和62年(1987)のJR東海発足後、東海道新幹線の乗客が急速に増加したため、展望レストランをグリーン車に転用し、1階の厨房部分はカフェテリアにせざるを得なくなりました。

新幹線50年を支えてきた安全への取り組み

阿川:これまでの車両の中で、私はやはり0系や100系に愛着があります。その理由を考えてみると、鉄の感触や重量感があるのですね。ちょうど古いボルボに乗っているような感じがありました。


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