1987年に民主化を果たした韓国は、国際社会での存在感を高めるため外交に力を入れ、海外への門を大きく開いた。1988年にはソウルオリンピックを開催し、その後も急速な経済成長を成し遂げた。1993年から始まる金泳三政権では、「世界化」が国家政策とされ、国際競争力の強化が唄われたが、折しもアジア通貨危機で大打撃を受け、経済のグローバル化による競争を生き抜く為の国際競争力の強化に一層力を入れることとなった。
韓国教育開発院のデータによれば、早期留学生(小・中・高)の数は、2000年から2006年にかけて急増し、2006年には29,511名を記録している。1995年の2,259名と比較すると10倍以上の増加である。その背景には、上述したように韓国国内で「世界化」が叫ばれると同時に、2000年からは、早期留学に対する規制を撤廃すべく政府が動いたことが挙げられる。それまでは、政府の方針として17歳未満の学生の留学は制限されていた。しかし政府の「国際化・世界化」時代に合わせるという方針の下、早期留学全面許可に向けて規制を緩和する方向に改善されていったのである。また、1990年代後半に小学校3学年からの英語授業が必修となったことも理由に挙げられる。
筆者の友人の例を紹介しよう。彼女は現在33 歳。2006年当時、高校1年で米国に留学し大学4年まで米国で学校に通った。きっかけは年の近い兄が高校1年から現地に1人で留学に行っていたことである。彼女の兄はというと、ホンジョンウク氏(当時23歳)の著書『7章7幕』を読んで留学に魅了され、親を説得して一人米国へ渡った。ホン氏は、韓国の有名俳優の息子で、ハーバード大学、スタンフォード大学ロースクールを卒業し、米国の弁護士資格を取得。2008年から2012年まで韓国国会議員を務めた人物であるが、当時彼の著書が早期留学ブームの火付けの一躍を担った。
名門高校に入学した彼女だったが、親の勧めもあり、また韓国の厳しい大学受験のためにかかる多大な費用(塾や家庭教師等)を考えると留学とさほどかわらないということで、兄と同じ米国の高校に転入した。しかし、母親になった彼女は今、自分の子どもには早期留学、特に子どもだけの留学はさせないと断言する。高校生とはいえ、まだ精神的サポートを必要とし、情緒多感な時期に相談相手がいないということは、彼女にとっては辛い経験だったようである。特に、他国の学生たちに比べて、家族や両親との関係性が強い韓国での生活から、一気に独立した生活を送る事に対するストレスは大きかったようである。
早期留学ブームによる弊害
早期留学のブームは新たな造語を生み出した。多くの場合は、子どもが一人で留学をするか、母親が一緒についていき、父親は韓国に残って仕送りをする。経済的余裕があり、頻繁に子どもに会うことのできる鷲パパ(カルメギアッパ)、年に数回しか家族に会えない雁パパ(キロギアッパ)、金銭的に余裕がなく子どもに会いにいけないペンギンパパ(ペンギンアッパ)という言葉が生まれ、英語教育のために家族と離れ、仕送りをする寂しい父親を表す、早期留学の象徴語となった。