もし誰かの助けがなければ、母親は駅のホームに幼児を乗せたベビーカーを置いて子どもを追いかけるわけにもいかないし、扉が閉まってしまえば車内に子どもが取り残されてしまう。想像しただけでもぞっとする。そんな事態を避けられる手助けができて、本当によかったという気持ちになった。
たしかに、男性が見知らぬ女性に「手助けしましょうか?」と声を掛けると、不審者だと思われたり、かっこつけていると思われる可能性もあるだろう。でも、もし男性が手助けをすれば、階段でベビーカーを運んでいる母親がベビーカーごと転落する可能性をかなり低くすることができる。男性が自分のリスクを低くするために手助けをしなかったとしても、目の前で親子が階段から転落する様子を見てしまったら相当後味が悪いはずだ。手助けしなくてもリスクはある。
相手が困っているなら助けましょうという意見ももちろんだが、ちょっとした自分の行動で、社会全体のリスクを下げられるならこんなに効率がいい話はない。それはベビーカー問題だけにとどまらない。
女性ライター佐藤さんの記事の中でも、「困っている人を助けるということは、困っている人の気持ちを想像することでもあります。自分と異なる境遇に置かれた人の立場を考えることは、周囲の人々に配慮しなければいけないのだという「コミットメント(責任)意識の形成」に繋がり、ひいては、少子化や高齢化といった社会問題を考えるといったキッカケにもなりうる」と述べられている。まさにその通りで、とてもいい意見だと筆者は感じた。
ネットの記事の中には、PVを獲得するためにわざと批判を狙う「炎上マーケティング」なるものもある。この大宮さんがそれを狙ったかどうかは分からないが、実際にこの記事はかなりのPVを稼いだのではないだろうか。そして、筆者が「いい記事」と感じた佐藤さんの記事はそれほどシェアをされていない。「この記事の意見に賛成だ」という読者よりも、「この記事に反論がある、もの申したい」と考える読者の方がネット上では活発なユーザーであるからだ。
PVやシェア数だけを指標にしてしまうと、偏った意見の記事、間違った意見の記事ばかりが目立ってしまうことになりかねない。「ベビーカー問題」のほかにも、炎上しやすいトピックを見かけたとき、炎上の影でひっそりと掲載された「いい記事」を見逃さないようにしたいと思う。
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