2024年11月21日(木)

WEDGE REPORT

2014年11月21日

 馬英九が政権を担うようになってから、中台関係は安定し、両岸の経済・人の交流は拡大した。台湾の民衆の間では、中国経済に対する依存を懸念する声が存在する一方で、中国の市場なくして台湾経済は立ち行かないという見方が広がり、中台関係の安定が重視されるようになった。ただし、後述のように、人々は中国との政治的統一を望んでいるわけでは決してない。

「ホープ」にも「実力者」にも接触する中国

 政権2期目(12年~)に入ると、馬英九政権の対中接近政策に拙速さが見られるようになり、中台関係の強化に対する人々の不安が募るようになった。3月に学生たちが立法院を占拠する原因となった「中台サービス貿易協定」についても、協定の内容より、馬政権の審議の進め方に対する反発が引き金となった。また、馬英九が協定の締結を急いだ理由について、14年APECにおいて馬−習会談を実現させるためだと憶測する見方もあり、それも政権に対する反発を煽ることになった。

 中国では、13年に習近平政権が発足すると、対台政策を管轄する国務院台湾事務弁公室主任に張志軍が就任した。張は、前任者の王毅(現外交部長)同様、外交官としてのキャリアを積み重ね現職に就いた。彼が今後出世するためには、前任者と同様か、それ以上の成果を生むことが求められる。

中国の対台政策を管轄する国務院台湾事務弁公室主任の張志軍(左)と台湾の対中政策を管轄する大陸委員会の王郁琦(右)(AP/AFLO)

 胡錦濤は台湾の武力統一より、「独立させない」ことに重点を置いた対台方針をとることにより、中台関係を安定させようとした。「先易後難(先に易しいことを行い、後で難しいことをする)」、つまり中台の経済関係強化から始めて、後に政治問題に手をつけるという方針の前段部分は、王毅の任期期間中にほぼ達成された。

 張志軍に残されたのは、残る難しい方、政治対話を始めることである。メディアなどを用いて政治対話を求める意向を喧伝すると同時に、台湾の政治家や財界人を大陸に招き、政治対話のための攻勢を仕掛けている。


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