――とはいえ、高齢者は大きな票田でもあります。その人たちを敵に回すかも知れないリスクは気にならなかったのでしょうか?
熊谷:もちろん気になりますよね。だから、これも支持率の高いうちに、多少は強引にでもやるしかないだろうという相当な覚悟がありました。
ただ、日本という国は捨てたものではないと強く再認識させられました。高齢者の方が「そうだよね。これから生きていく若者のためにお金を使わないといけないよね」と言ってくださったこともかなり多かったんです。日本には自らの利益を越えて公益を考える方が多い。とくに高齢者の方には多いのかも知れません。
日本ほど若い首長が多い国はありません。先進国の中ではもっとも平均年齢が若いんです。私のような年齢の人間が市長になることは、諸外国ではほとんどないことなんです。この国では、ほかならぬ高齢者がシルバーデモクラシーを否定してくれている。現役世代との共生を選んでくれている、とても良い国なんだと私は思っています。
我々も「なぜやらなければいけないのか」をしっかり説明しなければなりませんし、厳しいご意見もたくさんありましたが、想定していた厳しさよりは、むしろ非常にご理解をいただけたことに感謝しています。
そういう対話を、政治の側が避けてきたんだと思います。悲壮な覚悟を持って、石心を持って、将来予測をしっかりと示して説明すれば、それに見合った理解は得られるんですね。
選択肢や情報は出さなければいけない。どうしてこのような状況に至ったのかもしっかりと説明しなければいけない。我々の場合、国政と違って身近ですからこのあたりはわかってもらいやすい。国の借金が1000兆円と言われても全然ピンと来ないでしょうけど、自分の街の借金であればもう少し身近に感じられるでしょうし、事業も身近ですからね。
「呟く市長」の目指すもの
――半歩先にある像を目指して言葉を選ばれて、発信されているんですね。
熊谷:人間は、主体的に取り組んだときに、一番成果が上がると思っています。人にやらされると、結局はロクな仕事にはならない。しつこいくらいに語りかけて、気がついたら同じ方向を向いていた、それが理想かなと思っています。財政のことも、最初はそれほど関心のなかった人たちが、今は私以上に財政を気にするようになってきています。