なぜ、年間の対象者数は推計より少なかったのか
なぜ、制度が始まった最初の1年間の対象者数が、推定値よりも少なかったのでしょうか?
その理由には、以下の(1)~(5)の5つの原因が考えられます。
(原因1)脳性まひ児に関する過去の統計データがなかった。
(原因2)制度破綻のリスクを減少させるために対象条件を厳しくした。
(原因3)原因分析が始まったことによる緊張感で医療の質が向上した。
(原因4)この制度がまだ十分に認知されていない。
(原因5)医師が「補償対象外」と決めつけて申請してくれない。
実は、これらの原因の1つ1つの考察が、この制度と産科医療の実情を知ることや、この制度と産科医療をより良いものにしていくためにとても重要なのです。
(原因1)脳性まひ児に関する過去の統計データがなかった。
これまで、厚生労働省は、脳性まひに関するきちんとしたデータを持ち合わせていませんでした。唯一、一部の医師たちによる自主的な研究によって統計が残されていた沖縄県のデータを中心に、三重県や茨城県、宮崎県などのあった様々なデータ等も参考にして全国値を推定するしか方法がなかったのです。
したがって、想定値の幅もどうしても大きくなってしまいますし、一昨年に、より細かな手法で統計の専門家たちが、新たに推定し直した際も、基本的には、同じようなデータを使うしかなかったという状況でした。
日本では周産期死亡率や新生児死亡率というような「死亡率」の統計ばかりが重んじられ、特に生後1週間までに死亡する子どもの数が戦後減少傾向にあることが、産科医療の質と関係しているかのような取り上げられ方がされてきました。
しかし、日本では、産科の医療事故被害者の子どもは、出生時に心拍や呼吸が止まってしまっているような場合でも、蘇生され人工呼吸器を装着して一週間以上生きるケースが多数です。そして、その後は、脳性まひとなって長く生きるか、重度の場合、幼少期に肺炎や腎不全等の病名で死亡するかに分かれていきます。実際、日本は1歳~4歳の子どもの疾患による死亡率が先進13カ国の中で最も高くなっており、肺炎による死亡率も特に他の先進国よりも多くなっています。
本当は、脳性まひの子どもの状態や数の推移がわかる統計をとり、その原因を探ることが厚生労働省の大切な仕事の1つだったはずです。にもかかわらず、この種の統計や疫学調査などの研究がほとんどなかったことには驚きを隠せません。
だからこそ、産科で脳性まひになった子どものための、この「産科医療補償制度」という公的な保険制度が、必要だったと理解すべきなのかもしれません。