「世の不条理を歌いたいとお願いしました。今の世の中って自分の思い通りにいかないことがいっぱいあって、一所懸命頑張っても報われなかったり、ひどい目にあったり、不条理に満ちていると思うんです。それをキーワードにして、椎名さんがどんな扉を開けてくれるか全面的に信頼して待ってました」
椎名林檎が詞と曲で描いた不条理を、石川さゆりが歌唱で表現したのが「暗夜の心中立て」と「名うての泥棒猫」というわけだ。
世間が笑おうと莫迦(ばか)にしようと自分の心の真実にまっしぐらに生きる女。男が勝手に舞い込み勝手にすり寄って勝手に立ち去っていったのに世間に泥棒猫呼ばわりされる女は、修羅の外から醒(さ)めた目で勝手にしろと歌う。世に満ちた不条理を悲しんだり嘆いたり恨んだりすねたりしていない女。不条理にまっすぐ立ち向かう女の姿を見事に浮かび上がらせている。ひとつは強く、ひとつは軽快に。
女の弱さではなく女の強さが艶やかに重ねられていく。強くさせる世の不条理、世間の無情の中をけっして目を伏せることなく生きていく女の姿はカッコいい。そんな女の姿を想像していると、石川さゆりのデビューからの道のりに重なって見えてきた。芸能界での石川の歩みは、不条理から始まったような印象が私にあるせいかもしれない。
どこまでも本気で跳ぶ
1973年に白い帽子姿の「かくれんぼ」でデビューした時の石川は15歳。故郷の熊本で、小学校1年の時に母に連れられて出かけた「島倉千代子ショー」の七色の光のまばゆさが、子どもの心に「私もあの人のようになりたい」という将来の夢を灯した。その光に向かってまっしぐらに進んできた少女だった。デビュー曲は中ヒットし、同じホリプロに所属する森昌子、山口百恵とアイドル三人娘として順調にスタートを切ったはずだった。が、いつの間にかその一角は同じ白い帽子の桜田淳子に変わって、世間はそっちに群がっている。中ヒットは続けるものの、強烈な光源の周辺は闇が濃くなる。なんで? と私ですら気になったのだから、15歳の少女の心の中をどんな風が吹き抜けていたのだろうと思うと察するに余りある。当時のことを問うと、一瞬遠い目をして即座にひと言。
「昔のことだから、よく覚えてないなあ」
覚えていないわけではないだろうが、今それを語って何になる。引きずっていたら今の石川さゆりが存在することなどなかったのだから。そんな声なき声が聞こえたようで、こちらも無駄な質問を即座に引っ込める。