「当時28歳、結婚、出産と幸せの真っ最中で、正直、何てひどい女、どういう女よこれってと思っちゃってね。こんな女、私はどうしていいかわかりませんって」
世間の常識を一度越えたのに、幸せな時が世間の常識の中に戻そうとしている。そんな石川を、吉岡治が「歌い手としてそれでいいのか、もっとのたうち回れ」とたきつけた。つまり、たきつけられた石川が悩んだ末に、歌う決断をしたことになる。
「私に挑戦しろと言ってくださるなら、受けて起(た)とうではないかってね。私、自分の現実や手持ちの引き出しから歌を引き出そうとしていたんだと気づきました。20代の女が自分の経験の中でしか表現できなければ、しょせんその程度でしかないでしょ。想像力を膨らませて歌を演じる。それを教えてもらいました。私、本気で跳びましたから」
その結果、もうひとつ違う歌の喜びを得ることができた。三木たかしが、「作曲家が跳んでみたいと思った時、ここが難しいだのそれは無理だの言わないでどこにでもどこまでも一緒に跳んでくれる歌い手」だと石川を評した。その言葉がとてもうれしかったと石川は言う。
「作詞家や作曲家の創作意欲や想像力をかきたてる歌い手でいたい。一緒に駆け落ちする気分で跳びますから」
作家の冒険を引き受ける。でももし跳びそこなったら?
「その時は堕ちていけばいいんじゃない」と笑った。一緒に堕ちても悔いのないほど信頼している人たちだからこそ言えるひと言、曇りない笑みなのだろう。
五感のすべてで歌を求める
石川の言葉からは、風を受けて膨らみ目指す方角に向かう力へと変える帆のイメージが広がる。が、椎名林檎をはじめさまざまなアーティストに積極的にアプローチしている最近の石川は、そんなイメージをくつがえしているようにも見える。風を受ける前に自ら風を求めて積極的に動く帆とでも言ったらいいだろうか。与えられる者、引き受ける者から、求める者への変化はどのようにして生まれたのだろうか。