「これまで本当に素敵な、大きな先生に、さゆり頑張れと励ましてもらえて、精いっぱいついていくことが自分の世界を大きくしていくことだと思ってたんです。でも長くひとつのことを続けていると、お別れがくるんですね。阿久先生、三木先生、吉岡先生……みんないなくなってしまった。これから何を歌えばいいのか、歌い手としての自分の道はどこにあるのか、見えなくなってしまったんです」
まるで自分の体のパーツがひとつずつ失われていくような気がしたと石川は言った。その言葉で、どれだけ真剣に、どれだけ身の内深くに風を取り込んで作詩家、作曲家たちと向かい合ってきたかが伝わってくる。残された者は、その痛みの中で歩を進めて生き続けなければならない。落ち込んで立ちすくむ石川の背中を押したのは、「天城越え」の作詞者、亡き吉岡治の夫人のひと言だったという。
「もうパパは新しい曲を書けないのよって。だからあなたは自分で新しい歌を探していかなければならないのよっておっしゃった。その時、ああそうなんだって思いました。これからは、今まで引っ張ってくれた方々に育てられた自分が、自分の足で五感のすべてを尖らせて探すしかないんだって悟りました」
新しい出会いを求めたアルバム「X-Cross-」は、そんな石川の姿勢から生み出されたものだが、一方では消えていこうとするものを自らの内に取り込もうと積極的に動いてもいる。
たとえば、東日本大震災の後で訪れた宮城県東松島市では、かつては祭りの歌としてみんなが歌えたのに今では若い人が誰も歌えなくなっていた「浜甚句(はまじんく)」を蘇(よみがえ)らせた。私も覚えるからみんなも一緒に歌おうと呼びかけ、その浜甚句の一節を織り込んだ「浜唄」を世に出した。たとえば、新潟に瞽女(ごぜ)唄を伝承している人がいると聞けば、忙しいスケジュールの合間を縫って現地に通い詰めて習得している。