実はちっとも知らなかったが、『おむすび権米衛』は国産米だけを扱い、しかも業界の平均が一俵10000円という中で、24000円で一律、買い取り続けていたのだ。これは、確固たる信念がなければ、なかなか続けられる商売ではない。
さっそく社長の岩井健次さんにお話を伺ってみた。
岩井さんは、1961年、大阪生まれ。早稲田の法学部を卒業後、住友商事に入社した。
「陸軍の軍人だった父が、エネルギー、食糧、平和と安全、この3つに携わる仕事なら、男子一生の仕事として足るものだと常々、口にしていたのです。そこで、エネルギーや食糧を輸入する総合商社に入り、燃料本部に配属されました」
「ところが、そのうちエネルギー以上に危機感を覚えたのが、食糧問題です。サウジアラビアの当時の食糧自給率が28%、何と日本の穀物自給率とほぼ同じでした。水の確保もままならない砂漠の国が、これほど緑にも、気候にも恵まれた国と同じ。日本に帰れば、マクドナルドが売り上げ一位、若い人はハンバーガーやパスタばかり食べて、パン屋ばかり儲かる。みんな輸入の穀物です。そこには、戦後の学校給食から食のインフラを変えられてきたという歴史もあった。そんな中で1000年続いた米と味噌や醤油の発酵食品、だしの文化を忘れてしまっていいのか。将来、2020~30年に世界的な食糧危機がくれば、このままでは日本は飢える、とそんなことを、20代後半から考え始めていました」
そこで思いついたのが、ハンバーガーに変わって米を中心に田んぼの再生をするというビジネスモデルだった。だが、「当時は社会起業などという概念すらない」。誰も耳を貸そうとしなかった。そこで、30歳で独立し起業、最初の3年はプロパン屋をやって資金を稼いだ。「ガスボンベは50キロくらいあって、ガスを充てんすると100キロになる。私、柔道部だったんで、それが担げたんです。その頃は朝4時から夜12時まで年中無休で働きました」
その後、「店の経営が素人だから、勉強せなあかん」とサブウェイのFC経営を経験。
「FCはスピードが速い。資本と経営が分担されているから。でも自分には向かないと悟った。全て直営で、リスクは100%受ける。ホンモノの業態を創造しようと思った」
また、宣伝販促は一切せず、原価にお金をかけ、口コミだけで広がる店にしようとも決意した。こうして大崎の小さな一号店では店長として店に立った。