対談

2015年4月10日

»著者プロフィール

久松:でもそこで開き直ったんです。ゼロでなくても生きていく方法を考えるしかない。アタマで考えすぎちゃう人は、たぶんゼロから離れられないし、ゼロを担保できなくて辞めていってしまう。でも、辞めるのは絶対に違うと思ったんです。こんなことで辞めるのはあまりにも不本意だ、と。「基準値以内ならいいのかよ」は鋭い批判だったし、彼らが普段言われていることを……

丸山:そのまま返された。

久松:僕自身は農薬のことも化学肥料のことも理解しているつもりだし、合理性もわかっているつもりだけど、それでも有機農業の側にいる人間ですから、彼らの痛みがわかっていなかったんだと思いました。いろいろな根拠のない批判を浴びてきた側の立場が、そのとき初めて、少しだけ理解できた。それですごく傷ついたけど、強くなれたとも思う。ありがたい体験でした。

丸山:「農薬をつかっていないから安全」だけのロジックでは、さっき言ったように長期的には植物工場に勝てなくなる。あの不幸な出来事は、そのことを示しているのだとも思います。

「ドイツ=環境大国」神話の現実

久松:先生は震災の時にちょうどドイツに滞在されていて、「日本に帰る」と言ったらドイツの友人たちに「お前はバカじゃないか」と言われたんですよね(笑)。それはガチで心配されたんでしょうね。

丸山:「日本政府が何と言おうが、どう考えても何かとんでもないことが起こっている。確信できる情報は何一つないのに戻るという行動が理解できない」と言われましたね。「うちに泊まっていいよ。日本から家族も連れておいでよ」という誘いもいくつかもらいました。その感覚は、何かがあればてんでばらばらに逃げるべしという「津波てんでんこ」の教えに近い気がします。

久松:日本のあちこちで「てんでんこ」が言い伝えられてきたということは、裏返せば我々は何かが起こったときに「てんでんこ」に振る舞わないという前提があるんですよね。それをひっくり返す教えが必要だった。

丸山:「ドイツは環境先進国で、環境意識が高い」というイメージは半分は当たりで、半分は嘘だと思います。意識はそんなに高くない。

 たとえば日本ではスーパーの入り口に紙パックやペットボトルの回収ボックスがあって、何もトクしないのにみんなで洗って切って干して持っていくでしょう。ものすごく手間がかかるのに、何一つインセンティブがない。ああいうのがまがりなりにも形として回っているのって、世界でも日本だけだと思いますよ。「意識」だけでシステムを回すのは、ドイツ人には理解不能だと思います。

関連記事

新着記事

»もっと見る