対談

2015年4月10日

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丸山:ドイツ人には「合理性がないと人は動かない」という前提があって、環境保全が合理的になるような仕組みを一生懸命考えるし、完璧にいかなくてもそれはしょうがないと割りきっちゃうんです。ゴミ分別でも、家庭では包装容器であれば何でも一緒に出して、処理場でプロが分別する。素材別回収は紙とガラスだけで、分別費用はメーカーから徴収する。それは商品価格に転嫁されることになるのだけど、とにかく分別はプロがやり、消費者には求めないんです。

 消費者が自発的に行うことを前提にしたシステムは、100%に近いレベルでやってくれないと、うまく機能しない。そういう脆弱なことはやらないんです。

久松:脆弱だから、ってことですよね。プロの分別のほうが化学反応や汚染も起きにくいでしょうし、どうして日本は目的合理的にならないんですかね?

丸山:どうなんですかね。お金を使って、システムを構築してやるということを良しとしない感情もあるのかな。

久松:ドイツ人は良しとするんですね。

丸山:良しとしますね。

久松:逆に言えば個人個人がもっとワガママともいえるのでしょうね。

丸山:だと思いますよ。意識へのキャンペーンで人の行動が変わるとはあまり信じていない。実際に、環境問題の多くが世代をまたぐ課題である以上、意識だけでは持続不可能なんです。システムか、もしくは「場所」の持続性に基づかないと無理。伝統的な農業であれば「先祖伝来の土地」が持続性を担保する縛りになっていたんだと思います。

久松:それは茨城にいても感じるところで、震災のときに、家の中がまだぐちゃぐちゃの状態でも、みんなが道路に落ちて割れた瓦を片付けて、車が通れるようにしていたんです。美しい規範であるのと同時に、共同体の縛りでもあると感じました。片付けている人たちの頭に浮かぶ車は、たぶんごく近所の人たちの車なんです。

 広い範囲から持ち寄られるゴミ収集所はものすごく汚かったりするけど、うちの近所の20世帯くらいで管理している収集所はピッカピカだったりもする。でもその集落の人がものすごく高い倫理感を持っているわけじゃないと思う。共同体の縛りがうまく機能しているのであって、それを行動科学マネジメントとして利用しているのが、たとえばディズニーランドの「ゴミひとつない状態にしておくとみんながゴミを捨てなくなる」やり方なのかもしれない。それは田舎にいると勉強になる部分ですね。

丸山:行動科学的にいえばフリーライダー、やらなくてもトクしちゃう人がいる限りは縛りが機能しないから、相互監視が必要になる。それは社会全体でもそうで、相互監視か、やることにインセンティブを付与する形でしか、制度は持続しないんです。

(画像:istock)

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