2024年6月17日(月)

東大教授 浜野保樹が語るメディアの革命

2009年9月3日

顔を成長させるもの

 「顔が成長しない」とまでは言われなくとも、「本を読め」と言われた記憶がある人は少なくないだろう。高倉健は、「活字」の後ろに「(本)」と書き足しているが、内田吐夢は本に限ってはおらず、活字を読めと言う。活字と限定することで映画やテレビなど、文章以外の表現を排除するということか。

 特筆すべきは「映画」監督がそう言ったことだ。それも巨匠と言われた映画監督が、なぜ活字であって映画ではないのか。映画ばかり見ていては「顔が成長しない」のか。

 また、いま読者が読んでおられるのはWEB上の文章だが、活字でないため、「顔は成長しない」ことになる(私の文章など読んでも顔は成長しないだろうが・・・)。同じ文字でも活字とディスプレイに現れるものとは違うのか。では本を代替する携帯小説ではどうなのか。AMAZONのキンドルのような電子ブック・リーダーではどうなのか。

デッド・メディア

 活字以降、多くの複製メディアが登場した。レコード、映画、ラジオ、テレビ、CD、DVD、そしてコンピューターや携帯電話も、それに入るだろう。しかし、時間があれば見ろと多くの人が勧めるものが活字以外にあったかというと、心許ない。内田吐夢が信を置いた活字のような存在になる前に消えていくメディアも少なくない。誰も振り向かぬデッド・メディアの山だ。

 そして活字のように勧めようとするものがないのに、活字離れは起こり、いやおうなく新しいメディアに急速に移行しつつある。

 いま日本ではコンピューターを押しのけて、携帯電話が個人の総合情報端末となりつつあるが、携帯電話は内田吐夢の信頼を勝ちうるものになれるだろうか。

 活字では、過去から現在のものまでいつでも検証できる国会図書館のようなシステムがすでに構築されているが、テレビなどの新しいメディアは書き換えられ、付け加えられて、消えてゆく。新しいメディアは活字のように歴史的検証を受け、著作者の責務を自認できる存在に転化できない限り、顔を成長させるような存在にはなりえないであろう。

※注1 プログラムピクチャー:かつて2本立てなどの複数本立てが主流であった時代に看板作品の前に上映された短編映画

 


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