2022年9月26日(月)

オトナの教養 週末の一冊

2015年8月26日

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本多カツヒロ (ほんだ・かつひろ)

ライター

1977年横浜生まれ。2009年よりフリーランスライターとして活動。政治、経済から社会問題まで幅広くカバーし、主に研究者や学者などのインタビュー記事を執筆。現在、日刊サイゾーなどに執筆中。ブログ:http://golazo-sala.cocolog-nifty.com/pinga/

ーーまさに日常と切っても切り離せない定番品を生産していると。

五十嵐:そうです。ですので、消費者も産地へのロイヤリティがないですし、特別その土地で作る必要性がない「替えのきく商品」でしかないので、311後の風評被害には弱かったという側面があるんです。そうした常磐線沿線の1次産業から、広く私たちが考えさせられることは多々あります。現在は、農業や水産業の活性化のためにブランディングやストーリー・マーケティング、その有力な手段として加工や販売、流通まで展開する6次産業化が注目を浴びていますが、現実にはすべての生産者がそうしたことに対応できるわけではありませんし、すべての食料品にそんな形で付加価値がついてしまったら、買う側の消費者もお財布が大変です。あくまでも基本は、流通する農水産物の90パーセント以上を定番品・コモディティが占めた上で、残りの部分で消費者も多様な食を楽しみ、意欲的な生産者が高付加価値のセグメントで勝負するというのがあるべき市場の姿でしょう。小松さんが今年の春まで広報として働いていたいわきのかまぼこメーカーは、震災後、地域性を感じさせるユニークな商品を開発して大きな注目を集めました。彼自身も、旧態依然としたコモディティ生産に戻るのではなく、「復興の先」を見据えていかなきゃいけないということを繰り返し語っていました。でも、あるとき別のかまぼこメーカーの人に「それはこれまでのいわきのモノづくりを否定することだ」と言われて、考え直したのだそうです。確かに定番である90パーセント部分のコモディティは、震災の風評被害に弱かったり、他産地や外国産との価格競争に晒されていたり厳しい環境にありますが、私たちの日常のボリュームゾーンをしっかりと支えているそれらの生産者が、今風のブランディングに乗れないからといって、自己卑下するようになったら絶対に違うと思うんです。

 そんなわけで、彼が担当した章は「取り戻すべきコモディティの誇り」というタイトルになり、「常磐線は東京の下半身なのではないか」というこの本全体のコンセプトが生まれました。東京からの距離に応じて配置されたコモディティを、当たり前のように淡々と供給し続けることで、東京の日常を支えてきた「寡黙で優秀な東京の足腰」という意味です。

 そう考えていくと、この沿線で生産されてきた究極のコモディティは電気です。電気はもっとも当たり前にそこに供給されているものです。常磐線沿線はもともと、東海村に日本初の原発が建設され、茨城県北部から福島県浜通り一体に数多くの原発・火発が立地する、日本でも有数の電力供給地帯ですが、これまでの制度のもとでは、電気がどこで作られたかを東京の消費者が意識するキッカケなんてありませんでした。それが、福島第一原子力発電所での事故という不幸な形で、初めて「電気の産地」がクローズアップされた。しかしそんな現在でさえ、東京電力の発電所である福島県の広野火力発電所が、地元で使わない電力を生産するためにいち早く津波被害を克服して稼働していることは、首都圏の人にどれだけ知られているでしょうか

 5章以降では、開沼さんがさらに歴史を遡ってくれています。そこで見えてきたのが炭鉱です。近代日本のエネルギーは、炭鉱が支えていました。常磐線は、19世紀の終わりに、常磐炭鉱の石炭を運ぶために急ピッチに整備された歴史があります。北海道や筑豊の石炭に比べると、不純物が多く質は良くなかったらしいのですが、東京に近いことで重要な位置を占め、まさに首都圏の人々の日々の暖房や、京浜工業地帯の生産の根幹を支えてきたのです。

ーーそういったエネルギー供給源としての歴史にしても、茨城県の農作物にしても、東京に住む人間にとってコモディティとして、日常の中に当たり前にあったからイメージが沸かないのでしょうか?

五十嵐:それはあると思いますね。東京に近い地域で、あまりにも当たり前にさまざまな品目を供給してきたので、逆に意識されることがないのかもしれません。

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