2024年11月22日(金)

障害と共に生きる~社会で活躍するチャレンジド

2015年8月25日

大学院を卒業してふたたび教育の世界へ


初瀬:大学院を卒業して、再び母校の教壇に立つのですが、以前と同じようなモチベーションで戻れるものですか?

河合同じではありません。大学院で学んだり、その間に経験したことを教員として活かしたいと思って戻りました。最初の5年間とは違って、ずいぶん自分に余裕ができたかなと思いましたし、子どもたちもそれを敏感に感じますからね。改めて教師としての自分軸を持てたように思います。

初瀬:それなのに3年後には教育委員会へ異動ですね。
 
河合:他の学校に移るよりも、行政的な仕事を経験してみないかと校長先生や教育委員会から勧められて異動することになりました。僕の仕事は研修センターなので、学校の先生たちが勉強するプログラムを組んだり、資料作りをしていました。その間に北京大会にも出場しています。

初瀬:その後、教育委員会を辞めて選挙に出馬されるのですが、その意図は?

河合:教育委員会には2年ほどいて2010年に辞めるのですが、それは、行政で変えられることと、政治でなければ変えられないことがあるのがわかってきたからです。
自分がこの先どうしたいのかを考えて、選挙に出るという道を選びました。教育と障害者スポーツに関連することに取り組みたいと思っていました。

初瀬:高校生の頃から問題意識を抱えながらパラリンピックに出場し、教員をしながらも数多くのメダルを獲得しました。そんな障害者アスリートは日本には河合さんくらいです。

 落選しても、その経験は生きているし、教員を辞めたことによって、東京にいて、2020年に向けて、障害者スポーツの中心的な立場にいるわけです。さらに、現在は日本スポーツ振興センター(JSC)の研究員でもありますから、全て経験は生かされていると考えてよろしいですね。

河合現在の仕事は文科省から受託しているマルチサポート事業などを担当しています。スポーツ医科学情報を活かして、各スポーツ団体、それもメダルが取れる可能性の高い競技種目に対してサポートを行うというものです。

 各団体のスタッフからニーズを聞き取るのですが、競技力を総合的に高める為に、様々な情報から判断して合宿や遠征に専門職の方を派遣しています。

初瀬:河合さんは独自の情報網を持っているので、そこから集まる情報量がリーダーとしての河合さんの力を示していると思います。

河合:ありがとうございます。現役アスリートは、そのパフォーマンスでリスペクトしてくれる人たちが周りにいます。しかし、引退してしまえばパフォーマンスを発揮する場を失います。そうなった時に何でリスペクトされるのかを考えてみれば、仕事の能力であったり人間性であったりするのは明らかです。そこを踏まえて現役の時から勉強し、良い経験を積む必要があります。それが後年信頼されるリーダーとして生きてくるはずです。


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