「『お引き受けします』『ご奉納感謝します』これで上演が決まったんですが、この瞬間からすべてが初めてづくしでしたねえ。これまで僕は、内容のことだけ考えていればよかったんですけど、今回はイチからすべてやるしかない。奉納なんですから」
まず制作費を何とかしなければならない。クラウドファンディングという資金調達の手法で多くの人に協力してもらい、スポンサーも募った。キャスティングや舞台装置や技術関係や客席の配置まで全部を考えなければならないし、すべて自分たちで動くしかない。
「気持ちが高まって引き受けてから、そういうことなのかと知って驚いたりあわてたり。でも、これは神に試されているというか、きっと自分の人生の中で意味のあることなんだと思います。実際にたくさんの人に助けられたし、感動的な出会いもあったし、新たな可能性はこのように生まれるのかと感じられるイノベーティブな過程でした。すべてが心地よいという感じなんです」
「細胞が生まれ変わる」体験
これまでの経験の蓄積があり、その延長線上に歩を進めるのではなく、時空を超えるような初めてづくしは、エキサイティングではあるがけっこうデンジャラスでもある。困難の度合いも測れないし、うまく避けて通ることもできない。しかし、そんな飛び方は、宮本に関してはそれほど意外なことではないような気がする。実に、「初」のつく試みが多い人だという印象があるせいかもしれない。
あの9・11直後のニューヨークでの、演出家としてのデビュー作である「アイ・ガット・マーマン」でアメリカ初進出。ブロードウェーで東洋人初の演出家として「太平洋序曲」を上演。ロンドン・ウエスト・エンドで日本人初のミュージカルのロングラン公演に挑戦。歌舞伎座のこけら落としを外国人に演出させるようなものと驚かれた、オーストリア・リンツ州立劇場でのモーツァルト「魔笛」のヨーロッパ初オペラ演出。
「オーストリアでは、一瞬逃げ出したくなりましたね。出演者やスタッフ100名ぐらいが初めて顔を合わせた時に、設定を日本のテレビゲームにしますって話したら、全員が10キロ先に吹っ飛んだようにドン引きでね。モーツァルト生誕の地で、しかも『魔笛』をなぜ日本人が演出しに来たんだという拒否感が蔓延してた。怖くなってホテルで日本へ帰る便を探したけれど、手がパソコンの確定キーを押せない。こんな状態では演出はできないし、帰ることもできない。体がブルブル震える恐怖感で夜も眠れませんでした」
進むも地獄、戻るも地獄の心境で、いったい自分は何をこんなに怖がっているのかと自らに問いかけた。