この熱き人々

2016年1月31日

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吉永みち子 (よしながみちこ)

1950年、埼玉県生まれ。85年、『気がつけば騎手の女房』で大宅壮一ノンフィクション大賞を受賞。著書に『母と娘の40年戦争』(集英社文庫)、『怖いもの知らずの女たち』(山と溪谷社)、『試練は女のダイヤモンド』(ウェッジ)などがある。

 「ヨーロッパ初なのに、ここで失敗したらどうしよう。そう思っているから恐れる。恐れて逃げたくなる僕は何て甘いんだと思いました。モーツァルトは、みんなに叩かれ、笑われながらも毅然として聖なる美しいものを生み出していったのに。自分はまだ石も投げられてないうちから小さなことに怖気づいている。自分に切なくなって悲しくなって、とにかくもう一度モーツァルトを聴いてみようと思った。そうしたら、人間愛の深さ、あまりの美しさに号泣してしまって」

 号泣しながら、明日からみんなの前で、自分がどれだけモーツァルトが好きでこのアリアを愛しているかをひたすら語り続けようと決意したのだという。観てもらいたいから、聴いてもらいたいから、ただその思いに忠実に舞台を創る。演出家としての原点をひたすら語る宮本に、みんなはしだいに心を開き、共感し、共鳴してくれるようになって、これまでにない斬新な「魔笛」の幕が開いた。

 「語り始めて四日目に、こんなにモーツァルトを好きな人は見たことないって言われた。もしかしたら、モーツァルトの原点を忘れていたのかもと語り出す人が出てきた。歴史に残りたいから創るのではない。評価されたいから創るのではない。その瞬間瞬間に、無心に心が求めるもの、伝えたいものを創っていく。それが自分のクリエイションの原点なんです」

 それぞれの原点をただひたむきに、ただひたすらにぶつけ合うと、新しいエネルギーが生まれる。「細胞が生まれ変わるような」という言葉で、生まれ出る力を宮本は表現した。

見えないものを感じて生きる

 原点、根源……という言葉を、宮本はしばしば口にする。常にそこに足場を置くからこそ、冒険ができる。面白い挑戦ができる。どこかに浮遊してしまわないでいられる。

 宮本の演出家としての原点を考えると、その足跡に大きな影響を与えたと自らも語っている母親のことをつい思い浮かべてしまう。レビュースターとして活躍し、志半ばで舞台から退かなければならなかった母の舞台への執念、舞台への見果てぬ夢は、胎盤を通して胎内にいた宮本に引き継がれたのではないか。母を語る宮本から、そんな想像を抱いたこともある。だから、今回の奉納劇が、玉依比売命(たまよりひめのみこと)とその子の別雷神の物語であることに、不思議な因縁を感じてしまうのである。

 奉納劇では、巫女である玉依が川で矢を拾い、枕元に置いて眠ると子を宿し、母であるがゆえの試練を乗り越えながら子を見守っていく姿が描かれるのだと聞いた。胎内を通して夢を息子に託した宮本の母は、自らの死で21歳の息子の海外への旅立ちの背中を押した。母亡き後、30数年の時を経て、再び母の胎内にいた自分に巡り合うための儀式なのかも……そんな新たな母子の一体化という勝手な思いが走り始めてしまう。

 「単なる神の降臨ではなく、壮絶で深い愛情や親子の再会ということも含めて感じてもらえればうれしいですね。これまで、ジャンルを超えて混じり合ったり、自分にないもの、自分が越えられないものと交感することで大きな刺激が生まれ、化学変化が生まれる瞬間を目の当たりにしてきて、その感動がたまらないですね」

 初めての試み、初めての取り合わせという現場に、国内でも海外でもまるで触媒のように宮本が求められているような気がする。触媒は、自分はいつも変わらぬ姿を保ちながら、思いもかけない変化を引き受ける。「裸の王様にだけはなりたくない」という宮本の人間としての原点は、どのあたりで保たれているのだろうか。人はつい流されたり、カン違いしたり、持ち上げられて我を失ったりしがちである。変わりやすく、溶けやすく、流されやすい。

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