アメリカにとって“戦後”とは
ーーアメリカは日本と違い第2次世界大戦以降も様々な戦争を経験し、現在も戦争のただ中にあるわけですが、アメリカの戦後民主主義を理解するときの戦後とはいつを指すのでしょうか?
渡辺:日本人は戦後という言葉を何かと使いますし、70年前の出来事はそれだけ大きな起点となっていると言うことでしょう。
一方、アメリカの場合、第1次世界大戦以降、ほとんどの期間が戦時態勢にあります。イラク戦争後もいわゆる「テロとの戦い」に入りました。この言葉を使うかどうかはともかく、テロは必ずしも明確な形が見えず、終わりも見えづらいため現在も恒常的な戦時体制に置かれています。そういう点を考えると、アメリカの戦後は必ずしも明確ではないのかもしれません。
しかし、アメリカ社会や政治を考える上で、彼らが意識している、いないに関わらず基本的な戦後のイメージとして抱いているのは1950年代です。そのことを良とするか悪しきとするかというせめぎ合いがここ数十年続いていて、現在もその渦中にあると本書では指摘しました。
ーー50年代のアメリカと言えば、マイホームや家電、そして専業主婦などかつての日本人がアメリカ映画などで観て憧れた時代ですね。良とするか、悪しきとするかというせめぎ合いとはどんなものでしょうか?
渡辺:そうですね。アメリカでは、保守もリベラルもいろんなものを50年代に投影しています。まず、リベラルと言われる民主党にとって、50年代は民主党が行ったニューディール政策(註:フランクリン・ルーズベルト大統領により行われた公共事業への投資による雇用拡大をはじめとする政府の積極的な介入政策のこと)の時代で、どちらかと言えば政府が積極的な役割を果たした「大きな政府」の時代でした。その政策があったらからこそ、経済的に繁栄した「黄金の50年代」があったという見方になる。
一方の保守と言われる共和党からすれば、50年代は公民権運動などマイノリティに関する権利運動が盛んになる前で、白人やキリスト教を中心に社会を動かしていけた時代であったわけです。
だからこそ50年代に対するノスタルジーや、あの時代に戻りたい、戻りたくないといったせめぎ合いが両派の間で今日まで続いているわけです。
ーー50年代を起点とすると、2015年までの間にどのような変化がアメリカには見られますか?
渡辺:本書では、経済と社会にわけて考察しましたが、両面で変化したことに「個人化」が挙げられます。
まず、経済面では政府が統制や規制することより、もっと個人や民間に委ねるという流れです。要するに市場に委ねる流れが明らかに顕著になってきました。これは「大きな政府」に傾きがちな民主党でさえ逆らえない動きで、この流れは保守、つまり共和党にとって有利な動きですね。
社会面の「個人化」とは、従来型の社会的な規範や縛りから個人がもっと自由に行動していこうという流れです。たとえば結婚に関して言えば、してもしなくても良いし、同性婚も認められるようになりました。また宗教に関しても、12年のピューリサーチセンターの調査によれば無宗教者が約20パーセントに急増しています。これらは過去10年でアメリカ社会の最も大きな変化と言えます。つまり、社会が個人の考え方を重視し、家族関係のあり方を含めて、多くのことが個人の選択に委ねられるようになったのです。社会面では、リベラルな考え方が広がり、これは民主党にとって有利な流れですね。
このように経済面でも社会面でも個人化が進み、それぞれ保守派とリベラル派、あるいは共和党と民主党を利する格好になっています。世論を味方につけるのが共和党と民主党なのかはタクティクスの問題、要するにゲームの一種なので、その意味では来年の大統領選挙が興味深いですね。