2024年4月17日(水)

パラアスリート~越えてきた壁の数だけ強くなれた

2016年1月9日

第二の人生へ歩み出す

「IBSA ゴールボールアジア・パシフィック選手権大会2015」での天摩選手(右端)

 陸上競技を引退した天摩は日大文理学部の大学院に進学。大学院に通いながら、半年間、母校である筑波大学附属視覚特別支援学校の数学の非常勤講師を務めた。そんな矢先にゴールボール顧問の寺西真人から「センスがあるからゴールボールをやってみないか?」と誘われた。それがキッカケとなって、陸上競技引退から1年半後の2014年1月にゴールボールへ転向した。

 「長く個人競技をやってきたこともあってか、自分中心的な考え方をしてしまうところがありましたし、皆と足並みを揃えて何かをするということが苦手でした。また、ゴールボールはチームスポーツですので、チームメイトのことを常に意識して行動したり話したりしなければならず、最初はそれに戸惑いを覚えました」

 「日本代表に選ばれるようになってからは、『仲間意識を持つことが課題だ』と監督に指摘され、それからは常にチームを意識して、コミュニケーションを取るように心掛けました」

 ゴールボールにおける天摩の強みは、陸上競技で養った瞬発力や俊敏性である。コート内の移動やボールを持ってから立ち上がって投げるまでの動きには定評がある。

 ただ、天摩自身は「はじめて数か月の私が日本代表にいていいはずがない」と感じていた。さらに、3人で戦う競技なので「自分が足を引っ張ったらどうしよう」「自分のミスで負けたらどうしよう」と怖かったとも振り返っている。

 天摩がチームスポーツに馴染むまでには約1年が必要だった。

 「今ではコートの3人、ベンチの仲間やコーチ陣も含めて、みんなで戦う競技なんだとわかってきました。仲間をもっと頼っていい。信頼していい。自分がミスをしても仲間がカバーしてくれるし、仲間のミスは自分がカバーすればいい。そう考えられるようになりました」

 「また経験に違いがありますので出来ることに差があるのは当然です。それに焦っても仕方がないという気持ちにもなりましたし、少しずつできるようになればいいと思えるようになりました。選手ひとりひとりに個性がありますので、自分の強みを生かせればいいんじゃないかと思っています」

 時間は掛かったがチームスポーツというものを身体が理解し始めた。天摩はそこが自分の成長だと感じている。

 「チームの目標はリオで金メダルを取ることです。またその先の2020年の東京も見据えて、自分の強みを活かして、チームの勝利に貢献できる選手になりたいと思っています」

 ゴールボール女子日本代表は、2015年11月の「アジア/パシフィックゴールボール選手権大会」に優勝し、リオデジャネイロパラリンピックへの切符を掴み取った。

 世界の壁をまざまざと見せつけられたロンドンから4年、天摩は2度目のパラリンピック出場を目指して日々精進を重ねている。

  
▲「WEDGE Infinity」の新着記事などをお届けしています。


新着記事

»もっと見る