母と子の健康を守る母子手帳への発展
母子手帳の普及には、助産師や保健師が大きな役割を果たしました。1948年当時、児童福祉法の実施に向け、和歌山児童課の保健師が広報した文章が残っています。
「新たに本法による母子手帳が生れました。小型で綺麗な感じの良い此の母子手帳はお母さんの妊娠中から出産まで、生れた赤ちゃんの出生時から小学校 に行くようになるまで母と子の健康を護る為に活用されるのです。保健所、医師、助産婦保健婦の方々から保健指導を受けられた時はその内容を必ずこの手帳に記録して戴きます(貧しい方は無料で保健指導が受けられます)」(和歌山縣民の友 1948年6月1日発行)
貧困と直に向き合い、母子の健康を守る理想をめざしていた時代に、母子手帳に大きな期待が寄せられていたという時代の息吹を感じます。
その後、1965年に母子保健法が施行されました。母子保健法第16条において、従来の母子手帳は母子健康手帳と名前が変わり、内容の充実が図られました。母子健康手帳は46ページ。医学的記録のほかに妊娠・出産・育児情報が充実し、全体的に読みやすいものとなりました。内容については、血色素、 血液型、尿検査の記入欄が設けられ、詳細な医学的記録としての性格が強まりました。その一方、保護者の記録欄を加え、妊娠・出産・育児に関する情報を充実させるなど、育児日誌的な性格も付け加わりました。現在使われている母子手帳の基本形がこのときに確立されたといえます。
その後、1991年の改訂では、健診結果などを記載する省令様式と保健や育児情報が書かれた任意記載に分けられました。そして、任意記載分に関しては、省令で記載項目のみを定め、その内容については自治体の裁量に委ねることになりました。省令様式は全国共通ですが、その他の部分に関しては、自治体が独自の母子手帳を作成する余地が生まれたのです。
2011年の母子保健法施行規則の一部改正により、2012年4月から新しい母子手帳が使われています。日本では、10年ごとに乳幼児栄養調査が実施され、子どもの年齢ごとの身長体重が測定されます。その調査結果に基づき、身長体重の発達曲線が改訂されるので、母子手帳も10年ごとに大きな見直しが行われます。
時代ごとに刷新されていくコンテンツ
今回の改定では、ハイリスク妊娠の増加や妊産婦健診が充実し、記録欄を拡充しリスクに関する情報の提供が行われました。はじめて、妊娠中の母親が自分の気持ちを書く欄もできました。妊婦のメンタルケアに配慮したということができます。
次に、首のすわり、はいはい、ひとり歩きなどの運動発達については、「できる」「できない」という回答ではなく、「いつできるようになったか」を 記録する形式に変更されました。標準的な発達をもとにできる・できないを問うのではなく、ひとりひとりの発達の個性に合わせて指導することが求められています。また、生後1カ月前後に便色の異常を呈する胆道閉鎖症などの疾患の早期発見のために、便色のカラーページが挟み込まれました。海外の母子手帳はふんだんにカラーを使っていますが、日本の母子手帳では初めてのカラーページとなりました。
私がより画期的な改訂だと考えている点は、母子手帳に関する説明のページです。
「この手帳を活用して、お母さんとお父さんが一緒になって赤ちゃんの健康、発育に関心を持ちましょう」という従来の説明に加えて、次の文章が挿入されました。
「お父さんもお子さんの様子や自分の気持ちなどを積極的に記録しましょう。お子さんが成人されたときに、お母さん、お父さんから手渡してあげることも有意義です」
お母さんだけでなく、お父さんの育児への関わりを呼びかけています。そして、最終的に、母子手帳は子どもにわたすもの。次世代へのメッセージと読み取ることもできます。海外では母子手帳は誰のものかという議論が行われており、それを反映した形です。このように、母子手帳は母親だけのものではなく、 家族全体で使って、最後は子どもの手に渡るのだという明確な意思表示をしたことは、日本では今回の母子手帳がはじめてです。
1948年に母子手帳が発行されてから、もうすぐ70年。各国で母子手帳に対する熱意や真摯な議論に触れると、日本の母子手帳に対する冷めた視線が気になります。私たちのほうこそ、母子健康手帳があまりにも当たり前のものになってしまい、そのすばらしい価値を忘れかけていたのかもしれません。今後は、お役所だけに任せておくのではなく、民間企業や市民社会、NPOやNGOなど様々な立場の方々との協力が不可欠です。そして、子ども、お母さん、お父さんを主役にして、全国各地で、地域の歴史や文化を尊重した母子手帳が作られることを願っています。