この2組には予想外の「逆転」という共通点もあった。U-23日本代表は、2014年のU-22アジア杯と同年のアジア大会で2度準々決勝敗退を喫し、「勝てない世代」と呼ばれてきた。それが「ドーハの悲劇」の舞台で因縁のイラクを下し、決勝では韓国に2点先取されながら後半15分から3得点を決め、劇的な大逆転を演じたのだ。
予想だにしなかった琴奨菊の優勝
琴奨菊も、これまでカド番5回、両膝・足首・腰を故障し右大胸筋断裂まで負った弱い大関だった。引退さえも囁かれていたのに、昨年九州場所から急に調子を上げ、初場所では3横綱(白鵬、日馬富士、鶴竜)を破っての堂々の優勝。場所前誰ひとりとして予想しなかった「まさか」の逆転勝利だった。
こう見てくると、スポーツとしての醍醐味は、「素晴らしい存在が、もっと素晴らしい存在へと飛躍してみせた」男子フィギュア・スケートや女子スキー・ジャンプよりもハングリー精神を掻き立て「不可能を可能へと変えてみせた」男子サッカーや大相撲の方に、今回はより色濃くあったと言えるかもしれない。
もっとも、逆転勝利組の中でも、話題性からいえば大相撲は男子サッカーにははるかに及ばないはずだ。若者を中心としたファン層の厚さが全然違うからだ。
しかし、私個人にとっては、この冬一番のスポーツ・ハイライトは琴奨菊の優勝だった。満身創痍の、31歳のベテラン力士の、誰も予想しなかった優勝……。それだけでも、じんわりと込み上げてくる感慨がある。
小学3年生の冬、私はハシカ(麻疹)に罹った。「感染する」というので、弟たちと離れ一人だけ八畳の部屋に寝かされた。
全身に赤い発疹が出て、連日高熱にうなされていた。食欲もなく夢うつつの日々。けれど、大相撲の実況放送の時間になると、必ず目が覚めて布団の上に座り直した。
母が居間からラジオを持ってきて、枕元に置いてくれた。新しい五球スーパーではなく戦前からの古い半円型のラジオだ。
テレビはまだ普及していなかった。昭和32(1957)年当時、山陰の片隅に暮らす子供にとってラジオは最大の娯楽だった。