現在、メジャーリーグを代表する選手で、当時から将来を嘱望されていたアレックス・ロドリゲス選手の契約金が同時期にほぼ同額だったことを考えると、18歳の鈴木に提示された金額がどれだけの期待を込められたものだったかが想像できる。
マリナーズの1年目。迎えたキャンプ初日。日本のプロ野球を経験しない初のメジャーリーガーになろうとしている鈴木に注目が集まり、日本から100人近い報道陣が詰めかけた。体の調整が十分でなく、不安を感じながらブルペンに入る。
「軽く投げればいいかって思ってたら、横を見ればメジャーを代表する投手であるランディー・ジョンソンが、バンバン投げてる。焦って力入れて投げたら、1球目で肩が壊れてしまった」
様々な期待を一身に背負う18歳は、肩の故障を打ち明けることができなかった。ごまかしながらのプレーが続くも、5月にはついに全く投げられなくなり、オフには手術を受けた。
1996年、21歳でメジャーデビューを飾る。1回3分の2を投げ2失点だった。
「デビュー戦ねぇ。よく覚えていない。とにかく、自信がなかった。何投げても打たれるんちゃうかって」
翌97年、22歳の年を3Aで終えると、初めて危機感を覚えた。もうチヤホヤされる歳ではない。危機感は鈴木をプエルトリコで行われるウインターリーグに向かわせた。
「現役のメジャーリーガーも参加している中で、しっかり抑えることができた。これがかなり自信になってね」
翌年からはメジャーへの昇格と降格を繰り返し、99年、ついに開幕メジャーを勝ち取る。
トレードでメッツへ移籍し、その3日後にはウエーバーにかかりロイヤルズへ。そこから2勝を挙げ、翌2000年には、8勝を挙げる。同年オフに2回目の手術に踏み切り、10カ月で戻ってくると、ロッキーズへトレード、その後ブリュワーズへ移籍し、オフにはFA(フリーエージェント)となった。FAというと日本では聞こえがいいが、どことも契約がない状態で、契約が成立しなければ翌年はプレーできない。ロイヤルズから再オファーがかかった02年はロイヤルズでプレーした。