英国では06年11月、プーチン政権を批判していたロシア連邦保安局(FSB)元幹部アレクサンドル・リトビネンコ氏が致死性の放射性物質ポロニウム210で毒殺される事件が起きている。ロシアの情報機関やそれにつながる犯罪組織が放射性物質を持っていたとしても何の不思議もない。
モルドバの密売事件に詳しい米国務省国際安全保障・不拡散局のエリック・ルンド氏は「旧ソ連諸国からは核兵器の材料になる高濃縮ウランを回収し、残ったわずかな高濃縮ウランは厳重に管理している。管理施設に出入りする科学者のスクリーニングも徹底的に行っている。高濃縮ウランが闇市場やテロリストの手に渡ることはあり得ないと確信している。過激派組織が核に関する知識を持った人をリクルートするのも極めて難しい」と断言する。
一方、米国務次官補代理として大量破壊兵器拡散防止構想(PSI)にかかわった英シンクタンク、国際戦略研究所(IISS)のマーク・フィッツパトリック氏は「モルドバで取引された物質は核兵器の材料としては使えない。セシウム135はダーティーボム(放射能汚染爆弾)にも使えない。ISはオンライン機関誌DABIQで1年以内にパキスタンから核兵器を買えるようにすると宣言しているが、容易に核兵器が買えると考えるのは夢物語だ。現段階ではISのブランド戦略の意味合いが強いが、可能性を無視するわけにはいかない」と指摘する。
モルドバの事件では供給側の密売人は存在したが、買い手は警察の協力者かオトリ捜査員で本当の需要があったわけではない。しかし、旧ソ連が崩壊する中、核兵器を手に入れようとしたオウム真理教の前例もある。国際テロ組織アルカイダは核兵器の製造方法について聞くためパキスタンの核兵器科学者と接触している。
放射性物質の密売とダーティーボム、核兵器の密造を防ぐには、米国やロシアを中心とする国際社会の協力が必要だ。しかし16年春に開かれる核セキュリティー・サミットにロシアは今のところ出席しない見通しだ。
ウクライナ危機でロシアと欧米の関係が悪化し、プーチン大統領と気脈を通じる親露派勢力の後方撹乱によって旧ソ連諸国が不安定化している。そうした混乱に乗じてロシア系犯罪組織が放射性物質の密売を活発化させている可能性が高い。シリア和平交渉をめぐり米国とロシアが協力する気運が芽生えているが、キシナウのホテルで出会った米警備会社の元米兵は不穏な予想を耳打ちした。元米兵はウクライナ軍に雇われ、訓練を担当しているという。
「親露派勢力と言われる兵士の通信を聞いていると、ウクライナ訛りはまったくなく、ロシア兵だということが分かる。クリミアと違ってウクライナ東部の住民はロシアへの帰属を望んでいない。ウクライナ軍はかなり実力をつけており、ロシア軍の掃討に乗り出す可能性もある」
欧州大陸はバルカン半島の旧ユーゴ内戦が今でも深い傷を残し、AK-47など大量の銃が氾濫、犯罪ネットワークを通じ簡単に手に入る構図が浮かび上がってきた。大量の武器がテロリストの手に渡るのを防ぐためにはEU加盟国が協力してスロバキアのような「抜け穴」を塞ぎ、登録銃や違法銃のデータベースを構築、国境を自由に行き来する犯罪組織やテロ組織に対応できるよう各国の捜査機関、情報機関の垣根をなくす必要がある。バルカン半島に眠る違法銃の回収を継続するため新たな資金を投下する必要もある。 過激派を抑えるのも、闇市場の銃や放射性物質を管理するのも、米露協調が前提になる。しかし、米露関係は予測するのが難しい状況が続く。欧州がEUを中心にテロ対策、武器密売の取り締まりを強化するというのも口で言うほど簡単ではない。
(記事内のクレジット表記がない写真は筆者撮影)
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