2024年4月27日(土)

WEDGE REPORT

2016年3月25日

 国連開発計画(UNDP)ボスニア事務所によると、ボスニア国防省がUNDPの支援を受け、06年以降、約10万トンの弾薬と12万5000個の銃器、化学的に不安定な大砲の弾薬2100トン以上を廃棄した。しかし、武器の廃棄は十分に進んでいない。14年5月の洪水では対戦車砲や爆発物の入った冷蔵庫、手榴弾、爆弾、弾薬が大量に民家から流れ出して、発見された。

 UNDPボスニア事務所のパベル・バンジャク氏に取材を申し込むと、「武器の闇市場について話す立場にない」とけんもほろろだった。理由は容易に推測がつく。シャルリエブド襲撃で使われた7・62×39ミリメートル弾はサラエボの軍需工場で86年に製造されたものだと報じられているからだ。14年には軍の基地から大砲の砲弾600発が盗まれる事件も起きている。腐敗が事件の背後にあると言われている。

 同事務所によると、ボスニアでは約50万丁の武器が民家に隠され、1万6500トンの弾薬が余っているという。サラエボのホテルで働くボスニア人のアレン・ハスコビックさん(25)は「幼かったので20年前の紛争のことは何一つ覚えていません。しかしスレブレニツァでは子供も含め7000人以上のボスニア人男性が虐殺されました。減ってきているとは言え、自衛手段として多くの人が武器を隠し持っているのは事実です」と語る。2割近い家庭が武器を隠しているという報道もある。

 旧ユーゴ諸国の一つ、セルビアでも家庭に武器があるという。セルビアのタンユグ通信元東京特派員、ドラガン・ミレンコビッチ氏=ベオグラード在住=が解説する。「旧ユーゴの国防システムには民間人も組み込まれ、戦争に備えて、軍服やヘルメットなどの装備を家に持ち帰っていました。紛争の勃発で武器を保管していた軍のキャンプが襲われ、あらゆる種類の武器が民間人に奪われました。紛争が終わると、武器はお土産として各家庭に持ち帰られ、一部は闇市場に流れました。取り締まる人はいませんでした。私自身、友人から無料でいいから武器は要らないかと持ちかけられたことがあります。今でも100~150ユーロ出せば闇市場で拳銃が手に入るはずです」。

 97年にはアルバニアでネズミ講が崩壊してパニックが起き、軍の貯蔵庫から約65万丁の銃器と15億発の弾丸、350万個の手榴弾が強奪された。旧ソ連圏諸国が装備をNATO仕様に切り替えたため、AK-47など旧ソ連製の大量の武器が闇市場に氾濫した。AK-47は値崩れし、1丁1000ユーロを割ったという説まである。こうした武器は「アリの行列」のように手荷物として一つひとつシェンゲン圏に持ち込まれ、山のように積み上がっていくと一般に言われている。

 長年にわたってバルカン半島の組織犯罪を追いかけてきたジャーナリスト、ミーシャ・グレニー氏は「旧ユーゴ諸国の紛争で犯罪組織が活発に活動するようになり、紛争終結で洗練されたネットワークが構築された。今もこのネットワークを通じてEU諸国に違法銃や模造タバコ、薬物、売春婦を送り込んでいます。『アリの行列』という生易しいレベルではなく、列車のコンテナやトラック、船の底に隠されて大量に持ち込まれています。銃の80%は犯罪組織に、15%はテロ組織に流れているという警察情報もキャッチしています。テロリストの側は1回でも成功させれば良いのに対し、守る側の各国情報機関はすべて完封して初めて合格です。EU加盟国間では、情報というセンシティブな分野での協力はこれからも非常に難しいでしょう」と語る。

ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争で使用されていた武器が、バルカン半島やスロバキアから欧州へ流入している
(出所)各種資料をもとにウェッジ作成
(写真上・KEVIN WEAVER/GETTYIMAGES 写真下PASCAL LE SEQRETAIN/GETTYIMAGES)

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