放射性物質の闇取引が行われていたモルドバ
欧州のサークルを旧ソ連諸国にまで広げると、背筋が凍りつく事態が進行している。モルドバでは過去5年で4件もの放射性物質の闇取引がモルドバ捜査当局によって摘発されている。
10年には、首都キシナウで1・8キログラムのウラン238が押収された。7人の密売人が900万ユーロで売りさばこうとしていた。11年には、1キログラムの兵器級ウラン235を3200万ユーロで売ろうとした6人が拘束された。密売グループは「プルトニウムも手に入る」と話していた。14年、密売人がロシアから持ち込まれた200グラムのウラン235を160万ドルで売りさばこうとした。モルドバの国境に近いウクライナ国内で1・5キログラムのウラン235が押収された。
15年2月にはFBI(米連邦捜査局)と協力して、セシウム135のアンプルをオトリ捜査員に売りつけた3人を逮捕。セシウム137で汚染された物質がキシナウ中心部で発見された。セシウムの大半はロシアから持ち込まれたとみられ、ロシアとつながるモルドバの密売組織がISの買い手を探していた。密売人が使った密会場所の一つ、キシナウのナイトクラブ「ココス・プリフェ」。店員に容疑者の顔に見覚えがあるか尋ねると、「ここで働いて日が浅いので分からない」と言葉少なだった。店内では富裕層とみられる若者たちが水パイプを回し飲みしていた。
モルドバは3万3800平方キロメートルと岩手県2つ分の広さしかなく、首都キシナウは123平方キロメートルと狭い。これだけ狭い街で放射性物質を密売しようとしたら情報は協力者を通じて警察に筒抜けになる。だから4件とも初期段階で摘発された。だが、モルドバは司直の手の及ばない後背地を抱えている。90年、ドニエストル地域のロシア系住民が「ドニエストル共和国」の分離独立を宣言し、モルドバ政府軍との間で紛争が勃発した。
ロシア軍がドニエストル側につき、欧州安保協力機構(OSCE)の仲介で停戦が成立した。事実上、独立状態にあるドニエストル側が「国境検問所」を設け、モルドバ政府は手が出せなくなっている。密売グループはドニエストルを隠れ家に、モルドバで放射性物質を売りさばこうとしていた。
キシナウでタクシー運転手と料金交渉し、ドニエストル側に日帰りで行ってもらった。運転手は「ワシリー」という名だ。ワシリーはそわそわして、ダッシュボード内の黒いビニール袋を出したりしまったりし始めた。中から突然、拳銃を取り出したので、「オー・マイ・ゴッド!」とうめいてしまった。元警官だというワシリーは「心配するな」と銃所有の許可証を出した。携帯電話で呼び出した女性と路上で落ちあい、ビニール袋に入った拳銃を手渡す。次は運転手仲間に迷彩柄のジャケットを預け、車の登録証を更新しに行く。
キシナウからドニエストル側までは車で片道約1時間半だが、ワシリーはなかなか目的地に向かおうとしない。「検問所に近づいたら絶対、写真は撮るな」と何度も釘を刺し、筆者の旅券を隅から隅まで調べ、「キシナウ」の印を確認すると、ようやく「国境」に向かって走り始めた。モルドバ側では軍が警戒しており、ドニエストル側では「国境管理」が行われていた。
ワシリーは「カネが要る」と言い、筆者は行きと帰りにそれぞれ200モルドバ・レウ札(約1200円)を預けた。ワシリーが賄賂を使ったのかどうかは分からない。ただ、入国時も出国時も軍服を着た係官が後部のトランクを開けただけだった。ワシリーが拳銃をしまっていたダッシュボードには手もつけない。ドニエストルの「国境検問所」に放射線測定器もなく、放射性物質をモルドバに持ち込んだとしても誰も気づかないはずだ。