アメリカでは、次の日に違うチームにいることなど日常茶飯事だった。同年12月にヤクルトと契約し、7年振りに古巣へ復帰した。
13年からの2年間、往年の活躍ほどではないにせよ、その存在感は徐々に取り戻しつつあった。しかし14年10月、球団から戦力外通告を受けた。
「俺自身、最後はヤクルトで終えるつもりもあった。でも、あまりにも突然でね。このままじゃ辞められないって気持ちが強かった」
岩村は独立リーグに所属する、福島ホープスの選手兼任監督として現役を続行することを決めた。
「東日本大震災があったあの年、俺は仙台にいた。そこでは不甲斐ない成績を残してしまった。やり残したことがある。復興の象徴であるこのチームをなんとかしたいと思った」
福島ホープスのキャンプ地を訪れると、マウンドにはバッティングピッチャーをする岩村の姿があった。投げ終えるとノックを打ち、選手が引き上げると、グラウンドを黙々と整備する。
「何ていうかさ、原点だよね。昔はみんな、こうやって野球やってたんだからさ。大切なことを思い出すよね」
そう語る岩村の目が、少しだけ優しくなった。
昨シーズン、選手としては10試合の出場にとどまったが、打率は5割を超えた。それでも、自身の成績には全く興味を示さない。
「今は1人でも多くNPBに選手を送り出すこと、福島ホープスを地元に根付かせること、これしか考えていない」
その目はまた、勝負師の目に戻っていた。
「ここに来るとさ、『あぁ、また野球バカに戻れるな』って思うよね」
野球界のトップを走り続けてきた男は、走ることをやめるつもりはない。
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