2024年11月22日(金)

したたか者の流儀

2016年6月10日

 また、飛ぶが、「十年たったら竹下さん」という戯れ歌を小耳にはさんだ田中角栄は、「県議から総理総裁になったものはいないぞ」と言って後の首相竹下登を威圧したそうだ。本当に、地方から中央に打って出られる人材は少ないのであろうか。それは否だ。

 有名どころでは、ドイツのアデナウワーはケルン市長、ブラントは西ベルリン市長。フランスのシラクはパリ市長。中国の江沢民は上海市長経験者だ。カーター、レーガンは知事出身だ。舛添要一都知事も、可能性は、かつては一瞬あった。

 西ドイツのアデナウアーやブラントがフランクフルトソーセージの屋台で領収書をもらっただろうか。シラクや江沢民が、カフェや小籠包屋で白紙の領収書をおねだりしただろうか。

国家のトップには見栄を張ってほしい

 その一方で、国民国家の臣民には、たとえ国家は貧しくともトップには、どうにか見栄を張ってほしいという気持ちが、少なからずある。他国で馬鹿にされないように、ハイヤーにも乗ってほしいし、スイートにも泊まってほしいと思うものであろう。それは、民衆の気持ちから湧き出る心情だ。ファミリーディナーの回転寿司のレシートや、スパゲティー屋の白紙の領収証を列に並んで用意してもらう人に、自分たちの命を預けようとは思わない。

 幸い日本には徴兵制はないが、米国の青年たちの心情も聞いて見たい。国際紛争が起きれば、多ければ数万、少なくても数百は命を落とすことになる。
愛する国家、尊敬できる大統領がいてこそ、国家に命を捧げてもやむ無しと、思うこともできるのであろう。

 自国の元首が、こっそり副業で金を稼ぎ、パナマあたりにペーパーカンパニーを作り税金逃れまでしていたらどうであろうか。それを知った国民国家の兵は、いたたまれないであろう。

 また、イラクで戦死した米国兵士の家族への通知に、国防長官が手書きサインではなく、サインをまねたスタンプで代用していたことで社会問題となったことがある。トップが、どんなに多忙であったとしても、どのような状況で命を落とし、それは立派な死であったということを、便箋に萬年筆でしたためるべきであろう。国家の疲弊とともに人間として基本のきがおろそかにされる嫌いがあるようだ。

 武田の農民兵や騎馬軍団のように、自らの郷土を守り、場合によっては、命を落としたとしてもやむをえないという心情は、自然に敬うことができる首領と郷土愛の上に成り立つのだろう。

 情報公開がすすみ、トップの行動が白日のもとにさらされる現在、臣民に心から尊敬を受けることが困難な時代となっている。トップとすべての民が近くなりすぎてしまったのが現代かもしれない。舛添知事がいうように、規模もしつらえも国家並の東京都が、実際に困難に遭遇した場合、国民(都民)は、あのトップの下で命を投げ出して自らの郷土を守ろうとするであろうか。

 ここで、すでにファーストクラス、高級ホテル、リムジン当然との議論は破綻しているのだ。しかし、舛添知事、安心してほしい。現在世界中に、同じような方がパルトゥー。英語はともかくフランス語が少しはわかると期待しています。失礼。


  
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