2024年12月23日(月)

したたか者の流儀

2016年6月10日

 マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや(寺山修司)

 この歌が、この国の国民国家兵の消滅を暗示しているのかもしれない。1957年の出版だ。自国に一旦緩急あれば義勇公に奉する青年の比率は、我が国は、世界最低レベルになりつつあるようだ。平和国家なので当然と言えばそうかもしれないが、先の大戦では200万余の青年が国に命を捧げたのと比べて、隔世の感がある。

 ベネチアが傭兵ではなく国民兵で海の戦をまかなったため優勢を維持し、ナポレオンも国民皆兵で、戦に臨んだために負け知らずの時期があった。尊敬に値するトップと、素晴らしい郷土があれば、人々の行動は自ずと決まってくるだろう。企業や組織でも同様のことがいえる。

iStock

青年の意欲を減退させるパナマ文書

 今回の、パナマ文書騒動でトップの名前がでてしまった国の青年の意欲は大きく減退したことであろう。名前が飛び出た企業の社員は、会社との距離感を感じ始めたのではないだろうか。

 話は飛ぶが、八ヶ岳の麓には、棒道(ぼうみち)が今でも残っている。武田信玄の秘策の一つで、騒乱があれば騎馬武者や兵が最短で走れるように整備した細い直線の軍用道路だ。軍用道路と言っても重要地区に急行できるように真っ直ぐなだけで、細くて長い道である。

 道だけあってもどうにもならない。道の脇には、里山があり農民として平時は生活している。最近、その一つであった村を訪れたが、ひなびた祠には能舞台があり、訪問した日が祭礼であったのか、能が舞われていた。文化のみならず、馬具や武具の手入れを怠らない臣民がいたからこそ甲斐の山々は治まっていたのであろう。そして、武田信玄の名声もしかりである。そこには、自らを自らが守る国民兵の姿が見える。


新着記事

»もっと見る