対談

2016年6月21日

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左藤:あまり思いませんでした(笑)。娘は保育園に通わせていなかったので一日中一緒にいて、朝から軽トラに乗せて公園に行ったり、ご飯を作ったり、楽しかった記憶ばかりです。

 今の工房は、土台と壁以外は自分で作りました。でも溶解炉を作るのは時間がかかるので、その間は平行して新聞配達や塾講師も少しやって、あとは家事をしていました。生活にはそれなりに追われていたから、「悪いな」という気持ちもあまり起きなかったんでしょうね。

左藤玲朗さん

久松:独立までに時間がかかったのは、満を持して始めたかったから?

左藤:途中で2、3回諦めているんです。ガラスを辞めて木工を始めようかな、とか。専門学校に行こうともしていたんですよね。なぜ木工かというと、自分はものづくりであれば何をやっても成功するだろうと思っていたんです(笑)。陶芸だろうが鍛冶屋だろうが。自信だけがあって、技術はまるで追いついていない状態です。

久松:よくわかるんですよ、僕も独立は早い方ではないし、妙な自信だけはあったから。左藤さんほど自信満々ではなかったけど、技術もないのに「俺が有機農業を変えなけれれば」という使命感があって、「できない」とは微塵も思わなかった。

 でも、作ったものは良くない。ヘコむし、具体的な課題も見つからない。それでなんとなくモヤモヤしていました。そこから逃げなかったことが続けられた理由なんでしょうね。「続ける」ことの強さは『はじまりのコップ』からもすごく感じたことですが、それはお金が続くかどうかとかじゃないんだろうな、と。

左藤:僕の場合は技術的な改良点についてはイメージが見えていたんです。具体的には沖縄の工房で作っていたようなコップを作れば、需要はあるはずだと思ったんですね。

“『奥原硝子』では、原料といえば瓶を砕いて融かすのが普通だったから。
再生ガラスは、もともと、冷めるのが早いように調合してあるんですよ。自動製瓶器用に。いつまでもぐにゃぐにゃ柔らかいと瓶が歪んでしまうので、一瞬で冷めるように調合してある”

“「瑞泉」の一升瓶を、ひと月かふた月に1回、とりにいく。ワンボックスの車で、僕ともうひとりの先輩の職人とで。東南アジアから輸入したインディカ米の入っていた、麻で編んだすごく大きな袋をもらって、それに瓶をばんばん詰めて、車の後ろに積んで持って帰る”

“フランスのBiotという地方で作っている泡ガラス、あざといといえばあざといんだけど、ぼってり厚めで、手作業で作ったというのが分かる。それは、やっぱり、メキシコの初期のにも、アメリカのにも、沖縄のにも似ている。製法から出てくる特徴というものは必ずあります”

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