生活摩擦を生み出すもの
ベルリンの一等地にあったアパートは、どうしてこうなったのであろうか?まず「生活習慣」。「ローマではローマ人のする様に(郷に入れば郷に従え)」という西洋の格言があるように、よそから来た場合、その地域に溶け込むために、確実に必要なことと言える。宗教的、他の理由で譲れないところもあると思うが、これは一番大きな要因だと思う。
そのためには「尋ねる」ことが重要だ。分からないことを周囲に尋ねるのだ。人間、質問されると不思議なモノで、優しさが産まれる。相互理解が進みサポートもしてくれるようになることも多い。今回は決定的にコミュニケーションが足らないように思った。都会の場合、隣には無関心が当たり前と言われる現代、なかなか踏み出せない一歩かもしれない。
ドイツ政府はドイツ語教室も開いているのだが、教員不足、場所不足など、いろいろな問題があるようだ。
今回、K氏を含め、いろいろなドイツの方に難民をどう思うかと尋ねた。私が日本人ということもあるのかもしれないが、異口同音に「まだ(経済的に)余裕がある。サポートすべきだ」と答えが返ってきた。大枠は良しとしているのだが、それでも生活摩擦は起こるのだ。
今後、日本も移民を受け入れることになると思われる。日本の言葉の壁、習慣の壁を考えると、このアパートで見た生活摩擦より、より大変なことが予想される。意志疎通は、大きな課題だ。
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